2009年10月24日 (土)

引越しのお知らせ

 長い間、おつきあいくださりありがとうございました。
今回、私自身のネット環境の変更に伴い、下記サイトに移動しつつあります。
もしよろしければそちらの方を覗いていただけませんでしょうか。
内容は全く同じものです。ブログ名は一応「泉あるところⅡ」としました。
http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/

2009年10月20日 (火)

100年ほど前の異国の一女性の証し(7)

Photo  皆を―殊に医師たちを驚かせた驚異的な出来事が起こった。レントゲン線が全く思いがけぬ作用をしたのである。病人は回復した。彼女はやがてジュネーヴを去ってローザンヌに帰ることが出来た。ローザンヌでは、病気は引き続き日増しに良くなっていった。この間、彼女の夫(引用者註:ロンドンの牧師)は度々、ロンドンとスイスの間を往復した。

(ローザンヌにて、1930年10月20日)
 この二日の間、あなたのこと、あなた方皆のことを、どんなに考えていたことでございましょう。あなたの御旅中のこと、自家(うち)にお着きの時のこと(この美しい帰宅のことはよく憶えています。)子供たちの喜ぶ様子。あなたにする子供たちのキス。それに土曜日の晩の日曜日の準備。それから最後に、いつも仕事が一杯あってへとへとになるけれど、やっぱり豊かで楽しい日曜日のこと。以前にはどうしてわたくしは、この日曜日の忙しい仕事のことを嘆いたりなど出来たのでございましょう。今ならば他の人の仕事の疲れを―あの楽しい仕事の疲れを感じさせてもらう代わりになら、何でも差し上げることでございましょう。

 ・・・ほんとうに私自身のことを申しますなら、わたくしは物事をあなたと全く同じように考えております。わたくしは自分の生命(いのち)がお医者様方に支えられているのではなくて、もっとずっと無限に高い御意(みこころ)と、もっとずっと無限に高い御力に―神様の御意(みこころ)と御力に支えられているのだという、不思議な印象を受けるのでございます。この感じはわたくしにとりましては、強い力の泉でございます。もしお医者様だけを頼りにしようとしますなら、わたくしは絶望に陥ってしまうだろうと存じます。

(『その故は神知り給う』34頁より)

 日曜日、宇都宮での礼拝を終えての帰りに、途中下車して久方ぶりにAさんをお見舞いした。以前よりは弱っておられたが、それでもAさんのうちにあるのはこの100年前の異国の一女性と相通ずる平安であった。重病人である彼と私との間におられるのはまごうことのない神様イエス様であるからである。私たちは二人して詩篇102篇を輪読して祈りあった。

主は私の力を道の途中で弱くされ、
私の日数を短くされました。
私は申しました。
「わが神よ。私の日の半ばに
私を取り去らないでください。
あなたの年は代々に至ります。
あなたははるか以前に地の基を据えられました。
天も、あなたの御手のわざです。
これらのものは滅びるでしょう。
しかし、あなたはながらえられます。
すべてのものは衣のようにすり切れます。
あなたが着物のように取り替えられると、
それらは変わってしまいます。
しかし、あなたは変わることがなく、
あなたの年は尽きることがありません。
あなたのしもべらの子孫は住みつき、
彼らのすえは、
あなたの前に堅く立てられましょう。」
(詩篇102・23~28)

 彼の祈りは依然として「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11・25)とのイエス様の約束のおことばに信頼するものであった。いのちは私たちに起点を置く時、絶望・死しかない。しかし一度(ひとたび)イエス様に信頼する時、病状がいかなる絶望・困難の中にあっても永遠のいのちへの希望へと大きく転換することを彼の闘病は教えてくれる。

(写真はAさんの玄関で私を迎えてくれたハイビスカス。「病める友 ハイビスカスの 赤のよう」「望み持て ハイビスカスの あかるさよ」)

2009年10月16日 (金)

読書の秋

Photo  「若者よ書を捨てて街へ出よう」とは寺山修司の名言だと聞く。一体彼がどういう意味でこのことばを吐いたかは知らない。しかし書を読み頭でっかちになりそうになるとき、このことばが頭を掠める。これに対して次のような読書についての文章を最近眼にした。これなどは「晴耕雨読」という良き時代に生きた人の言であろう。畔上賢造氏が大正5年に書いた「農村伝道者の生活」中の「読書」よりの抜粋である。 

「(前略)かつてカーライル先生は、その名著『サアタ・レザアタス』において以下の如く曰うた。

人類過去の産物は三つある。第一は都市である。第二は耕地である。そして第三は書籍である。第三は最後に発明せられたもので、他の二を凌駕する。真なる書の価値は、げに驚異すべきである。年々毀破(やぶ)れ年々修繕(つくろ)わねばならぬ石造の都市とは違う。それがもし耕地に似ていると言えば、霊的の耕地である。それは霊的の樹木として永久に立っている。年ごとに新しい葉がうまれる。

真の書を著すものよ、汝もまた征服者である。勝利者である。悪魔に勝つなれば真正の勝利者である。汝は大理石や金属よりも永く生くる者を建てたのである。愚か者よ、何故に汝はエジプトの金字塔(ピラミッド)などを観るためにはるばると出かけてゆくのか。彼らは過去三千年間、馬鹿顔(ばかづら)をして、何もせずにぼんやり沙漠を見下ろしている奴等ではないか。汝は汝のヘブル聖書を、或はルウテルのその翻訳を、開くことは出来ぬのか 

と。然り、思想の黄金は道行く人の前後左右に転がっている。然るに、道に横たわる銀貨銅貨を拾うに忙しき今の人は、かの黄金を顧みない。真理の花はいと美しく室内に咲いている。しかるに、疲れし脚をひきずりつつ花を追うて狂い廻る現世人(このよのひと)は、手近の花を忘れている。その読むものは日々の新聞紙である。教科書である。娯楽雑誌である。低級なる小説である。

その語るところは、いともいとも小さきその日その日の出来事である。隣人のうわさである。天候に対する不平である。昨夜の地震の話である。外国語を解する者といえども、概ね片々たる俗悪文学を楽しみて、俗語難句の知識を誇る位のものである。

我等は倭人国(こびとじま)に住んでいるのではなかろうか。かくても我等は世界の一等国民と誇称するのであろうか。イザヤの大預言も知らず、イエスの大精神にも接せずして、また東洋の産としてほとんど自国の産の如く誇る孔孟の真精神をも読み得ずして、それでも皇国の民と誇るのであろうか。ああ救い難きは文字なき民ではない、文字あるもこれを善用し得ざる民である。死せるカーライルをして、また死せるトロウをして、なおその預言の鞭を絶たざらしむる民は、決して幸なる民ではない。

土を耕し野を歩みて天然と交わるは、我が生活の第一である。紙を展べて想いを綴るは、我が生活の第二である。良書に真理を探るは、我が生活の第三である。これに口をもってする伝道を加えて、農村伝道者の生活の様式は完備する。(後略)」
(『畔上賢造著作集』第7巻昭和15年刊行29頁所収)

ひるがえって私たちに読書生活はあるのか。聖書は箴言をして次のように言わしめている。

時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。(旧約聖書 箴言25・11)

(写真は一昨日義母の見舞いの帰りに眼にした近江電車線路際の畑の中に見えた柿の木。「渋柿の 実りみつめて 納屋ひとり」「近江路に 名残惜しきか 渋柿よ」)

2009年10月 9日 (金)

○○さんからお便りをいただいて

Dscn8036  先日伊豆へ行くおり車中でお会いした98歳の方に、その後お写真に添え、福音の書かれている小冊子をお送りした。早速元気なお声で御礼のお電話を下さった。その際に手紙も出したいと言われていた。翌日その通りFAXで以下のお便りをいただいた。

お便りありがとう。あの日は短時間の交流だったが、楽しかった。喜んでおります。お茶とおすしありがとう。最初から『イエス様の福音を受けて下さい』の熱心なお誘いと理解しました。

 私はこの方がはっきり「福音」と書いてくださっていることに感謝した。なぜなら私たちが伝えたかったのはイエス様の福音であり、この98歳のご高齢の方がそのことをはっきり理解してくださっていたからだ。この方はその後次のような文章を書き連ねてくださった。

家内は○○○○学院で在学中すでに(洗礼を)受けております。私どもは1990年に金婚式を終えて19年経過しております。私はローマのバチカン宮殿もフランスのノートルダム寺院も尋ねております。またいろいろな宗教から熱烈なお誘いを受けておりますが、独自な心境で今日まで生きて来ました。今後もその心境で生きます。〔そっとして置いて下さい〕これが私の結論です

 そっとしておいてください、と言われたことには気が滅入った。この方がお会いした時も電話でお話した時も大変喜んでおられたから意外な思いがしたからである。でも、今はお歳もお歳だけに、そっとしておいてください、という意味だったんだと思う。

 ただ一方よく考えて見ると、この方が言わんとされることは私はすでにキリスト教というものを知っていますという意味なのだろう。あとでわかったことだが、この方は教養もあり、社会的にも活躍なさった方だ。だからこそ海外にまで足を伸ばされてその場所に行かれたのだと思う。

 ムーディーはある本の中でイエス様が言われた「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません(ヨハネ3・3)」ということばを引用しながら、「私は生まれ変わっているだろうか。私は私たちのいのちである神の賜物を受けているだろうか。」と真剣に問うて欲しいと言っている。「もしまだ受けていないとしたら、あなたは絶対に神の国を見ないという真理をあなたの肝に銘じなさい。あなたはこの世の王国を見るかもしれませんが、神の国を見ることは決してないのです」と断言し、その具体例の一つとして「あなたは大西洋を横断してロンドンへ行き、英国皇太子を見、オランダ女王に会い、そのほか他の国々に行けるかもしれません。しかし平和の君(イエス・キリスト)を見ることは絶対にないのです。」と言っている。

 人生経験豊富で100年近い寿命を誇っておられ、たまたま電車で偶然お会いし親しく交わらせていただいた○○さんがこの上は心を主イエス様に向けられるように祈るばかりだ。

 この方はその後さらに7項目をあげ後進の者に役立てようと、ご自分の長寿を保つ秘訣を書いてくださった。ちなみにそれらは次のようであった。

①自分の悪しき過去を反省し、腹の立つことや不愉快なことを全部忘れると平穏で幸福な心境で生きられます。②長寿とは、健康で平均寿命以上の方としましょう。おれももう年だと考えないで自己の志に全力注ぐと、老後も悔いのない満足となります。③健康も、成功も、生き甲斐も、その人の心掛け次第と思います。④心掛けとは、自己の最高の理想を構築し、言葉と態度と表情が、最善最良となるように意識することを意味します。⑤自己の夢に照らし、過去も現在も満足ならば幸福な人と考えましょう⑥他人の長所を称賛すれば、自他共に満足となり、他人の欠点ばかり目に付く人は最も不幸な人と確信します。⑦われわれの明日からの仕事は、誇り高い人格完成としましょう。

 もう一度書き写して見てこの方が長い人生の中で心豊かな生き方を求めておられるお方であることが改めてわかった。ただ7項目はどれを見ても魅力的だが一つとして自らの力で達成できるものでないことも確かではないだろうか。

 しかし改めて聖書を思うときに、これら一つ一つが私たちが自分を空しくして主イエス様を心に受け入れ信じ新生のいのちをいただけばすべて御霊の実としていただけることを思う。神様が愚かな罪を犯すしかない人間を遇されることについての素晴らしい約束の言葉がある。最後にそのみことばを記しておく。

わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(旧約聖書 イザヤ43・25)
主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。(詩篇103・14)

(写真の花はやはりFさんのお庭で拝見したもの。こんなに可憐な花があるのだろうか。この花一つだに人は造れない。)

2009年10月 4日 (日)

わたしにとどまるなら アンドリュー・マーレー

Dscn8043  久しぶりに『まことのぶどうの木』安部赳夫訳からの引用文である。これで16回目になる。折り返し点である。あと15回続く予定である。花は先週の日曜日、日立のFさん宅に出かけたおりお庭で拝見した花。花の名前を聞くのを忘れた。

 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」(ヨハネ15・7) 

 ぶどうの木と枝とがクリスチャンの生涯の絶好の譬ばなしに用いられるわけは、両者の性質が一つの源から出、両者が一つの霊によって生きているからにほかならない。植物界は神への完全な依存と、その依存によって得られる安全さを人間に実際に教えるために造られたのである。

 野のゆりを装わせる神は、私たちにはもっともっと美しい装いをお与えになられるのだ。木々に美と実りとを与え、ご自身のみこころのとおりにお造りになる神は、私たちをそのみこころの望むとおりになさるのは当然のことである。ただ一つ違うことは、神は木が意識しない力によって木に働きかけられるが、私たちには同意を求めになるという点である。これが人間の優れているところで、人間は神の仰せられることを理解し、神と協力する意志を持っている。これが自然の枝と霊的なぶどうの枝との違いである。

 前者は自然の力によってぶどうの木にとどまり、後者は神から与えられた、神のみこころに同意する力によって主につながるのである。自然の力と恵みの力の働きがこのように異なるのは、神の驚くべきご配慮によるのである。

 もし私たちが正しい祈りの生涯を送り、祈りに愛と力と熱情とをはっきりと示すならば、主にとどまることのできるのは疑いのないところである。ひとたび主にとどまるならば、望むものを求める自由と、望むものが与えられる確信とを持つことができるのは明らかである。

 主にとどまることができるかどうかとためらってはならない。私たちがほんとうに主にとどまることを学び取るまで、あの小さい枝と、これほどまでに美しい実を結ぶすばらしい力とを見つめ続けようではないか。

 主にとどまる秘訣は、身も心もすべて主にゆだね切ることだ。私たちの信仰と愛と従順の中にあるいのちの根を主の中に深く下そうではないか。ほかのすべての立場を離れて主にとどまるべきである。すべてのものを捨てて、栄光の神の子の地上の枝となる、想像もできぬ大きな特権を手に入れようではないか。

 キリストを第一とせよ。キリストをすべてとせよ。キリストにとどまることに心を捕えられないで、キリストに心を捕えられるのだ。キリストにとどまる私たちを、キリストはしっかりと握って離すようなことはなさらない。キリストは常にご自身の中に私たちをとどまらしめ、また私たちの中にとどまっておられるのである。

 キリストは「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば」と言っておられる。キリストはこれを「わたしはあなたがたにとどまっている。もしわたしの言葉があなたがたにとどまっているならば」という、もう一つの表現と同義語として使っておられる。換言すれば、私たちの黙想、記憶、愛、信仰―これらはすべて大切なものであるが―の中にだけではなく、とりわけ従順の中にとどまっておられることを指している。

 もしこのみことばが私たちの意志、私たちの存在の中に入り、私たちの生涯を形づくるならば、もしみことばが私たちの品性を造り変え、私たちを、みことばが語り、意味するような人にするとすれば、私たちは何でも望むものを求めてよいのだ。そしてそれは必ずかなえられるのである。私たちの祈りの中の神へのことばは、キリストの実となり、キリストのみことばは私たちにとどまることになるのである。

 「なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」というこの約束の真実であることを信ぜよ。いつもさらに豊かな恵みを祈り求め、私たち自身を人々のための執り成し人としようではないか。このような信仰と祈りとは、私たちがキリストの中に、全面的、かつ絶えることなくとどまることを不思議なほど助けることになるのである。

祈り

「『もしわたしにとどまっているならば』とあなたは言われます。そうです。主よ。祈る力と祈りがかなえられる力とは、あなたにとどまることによって得られます。あなたはぶどうの木ですから、私たちにあなたの霊を吹き込む神の執り成し人です。あなたのみ恵みによって、私たちはあなたに単純に、そして全面的にとどまり、大きな願い事をお願いいたします。アーメン」。

2009年9月30日 (水)

100年ほど前の異国の一女性の証し(6)

Dscn8045  病を得るということは大変なことだ。これまでこの記事の出典を明らかにしてこなかったが、『その故は神知り給う』(井上良雄訳)という小著を編集して用いさせていただいている。病という私たちに取り大きな問題をこの方の病状に即して、できれば時日に合わせて読みたいと思ってきた。彼女はロンドンに夫と子供を残しジュネーヴで治療に専念する中で毎日のように夫に手紙を書いている。9月14日から9月24日まで7通記録されている。前回はその最初の手紙二通を載せたが、今日はその後の手紙2通をピックアップして見たい。

 この時彼女の病状は次のようであった。極めて強力なレントゲン線で、体の一部分を照射することが試みられた。専門医は何ら過大な効果を期待してはいなかった。一つの鎮静手段だと、彼は言っていた。病気は体の組織全体に蔓延していたからである。しかしやはり僥倖をたのみにして、この方法が用いられた。医学的に見れば、病人はもう絶望と思われた。医師たちは、クリスマスが最後だろうと話し合っていた。

(ジュネーヴにて 1930年9月20日)
事実に眼をふさぐことは間違って居りますけれど(そのようなことをわたくしが致しませんことは、きっと御承知と存じます)もう駄目だとすぐに申すことも、やはり間違っているように思われます。お医者様が治療を続けるのが良いとお考えになる間は―そして神様がおいでになる間は、希望もやはりあるのでございます。今は物事をそのように考えるべきではございませんでしょうか。

どうぞ神様が、すべてのものを神様の御光の中に眺める力を―洞察と信仰と服従とで眺める力を、お与え下さいますように。ああ、わたくしはまだまだ駄目でございます。そしてあなたのおっしゃるように、こうしてじっとしていることが、わたくしの一番悪い敵でございます。今のようにこうして一人ぼっちで横になっている時に、いろいろな考えを飛びまわらせたり、想像力を働かせたりしないということは、わたくしには本当にむづかしうございます。

けれどわたくしは、あなたがわたくしのことを考えていてくださるということ、上を見上げるようにわたくしを助けて下さるということを、知っています。

(ジュネーヴにて 1930年9月24日)
G先生(註、専門医)は、わたくしをお見離しになりません。こんなに一所懸命に治療して下さるのですから、先生も何か効果を期待しておいでになるに相違ございません。わたくしの病気は大へん重うございます。それは疑いもないことでございますけれども、望みがないというのではございません。皆さまが出来るだけのことをして下さることと存じます。そして余りのことは御意(みこころ)のままに、でございます。

皆さまのわたくしにたいする御好意は恥ずかしくなるほどでございます。わたくしを随分高く評価なさいまして、勇気のある献身と平安の中にある者のようにお考えでございます。けれども、もし私の心の中をご覧になれましたら、どんなに沢山の弱さと不安と涙をお見つけになることでございましょう。それにどんなに沢山の戦いを。

もし、たとえばエリザベート・ルズールのように、戦いをすっかりやめて、何の思い煩いもなく生きて「自分が生きるか死ぬかは問題ではない、それを知りたいとも私は思わない。御意(みこころ)が私の中に、また私を通して、全くなるように」と言えますなら、どんなに心安いことでございましょう。

けれどもそのような言葉を口にすることは、わたくしにはまだまだむづかしうございます。頭ではそう申しましても、実際には随分むづかしうございます。

モーセは主に申上げた。・・・「もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。」すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」(旧約聖書 出エジプト33・13~14)

あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。(旧約聖書 詩篇16・11)

(写真はこの日曜日、茨城県日立市の高台から見た不思議な風景。何と海が上に見えたのだ。画像奥にブルーで広がるのが太平洋である。)

2009年9月26日 (土)

平成版「東海道中膝栗毛」

Dscn7999_3  一週間という日にちはあっという間に過ぎてしまう。もう今日は週末だ。週初がシルバーウイークの真っ只中であったことなど忘れてしまっている。その週初の月曜日に知人三人のご婦人方、それに私たち夫婦の五人で伊豆高原に出かけた。男性は私一人であった。

 それぞれ各人には共通の目的があった。伊豆高原で初めて「喜びの集い」が持たれたので、それに参加するためであった。もっとも私たち夫婦はこのところ外出しがちで出費もかさんでいるし、行くかどうかは最後まで大変迷っていた。ところが伊豆高原には永年交友関係があり、いつも覚えているご夫妻が二組おられる。どうしても会いたかった。すべての思い煩いを押し切って参加することにした。

 一行のうち、このように遠出するのは実に久しぶりという方もおられ、集合した大宮駅では年甲斐もなく、遠足に出かける小学生並みのちょっとした興奮と騒ぎようがあった。ところが車内は混雑していて最初から立つ羽目になった。優先席の前で五人は荷物を抱えながら立ち続け、それでも互いに車内の会話を楽しんだ。目の前の優先席にはぐったり疲れて眼を閉じている方と二人の高校生と思われる女の子がこれまたピーチクパーチクと話していた。

 月曜日は「敬老の日」だった。かつて高校教師であった私は立ちながら、目の前の女の子の振る舞いを見なければならなかった。彼らは自分たちのことで夢中で、一向に座席を譲りそうになかった。そのうち池袋あたりであったろうか、眼を閉じていた方が急に立ち上がり席を譲ってくださった。年恰好はほぼ私たちと同じように思えたが、疲れたように見えた方が席を譲ってくださったのだ。この時をきっかけに女子生徒の心中にも少しずつ変化が生まれたらしい、人目をはばからず化粧に勤しむような彼らがそわそわし、見る見るうちに私たちに席をゆずり、新宿で降りて行った。やっと五人のうち三人は席に着くことができた。

 その内に最初席を譲ってくださった年配の方は群馬県の沼田から横浜に帰られるご婦人であることがわかった。親切なご婦人はその後私たちに代わり、立ったままであった。すべての機会を作ってくださったご婦人に感謝しながらもいつの間にか互いに親しくなり、会話が弾み始めた。ご婦人が横浜駅を降りられる時は、「アレー、わたし全部(わたしのこと)話してしまったわ。これがわたしの一生よ。」と言われるくらいの濃密な車内での語らいとなった。私たちはその方との話に夢中になり、ついお名前も聞かずじまいだった。

 横浜を過ぎるころからは大分車内は空いてき、五人全員が優先席に座れ、相向かい会う優先席には私たち以外には一人のご老人を残すのみになった。五人で今別れたばかりのご婦人との不思議な出会いのことを話していた。18切符で単独で旅をする時はあっても集団で行動するのは久しぶりであった。車内の他の方に迷惑にならないか私はハラハラしていた。

 その内にお菓子の回しが始まった。旅の楽しみの一つである。そのお菓子を自分たちだけでは申訳ないと思ったのだろう、同行の一人の方が隣席にいるご老人にお薦めしたが、その方は遠慮された。ところがさらにしつこく薦められ、とうとうその方もそのお菓子を口に運ばれ、「こんなおいしいものははじめて食べました」と言われるので、さらにもうひとついかがですか、と薦める羽目になったが、その方はそれ以上は固辞された。そして「あなたがたは楽しそうですね」と言われ、「わたしも弥次喜多道中の仲間に加えてください」と言われるまでになった。

 お歳を聞いてみると何と98歳ということであった。これには一同びっくりさせられた。どう見てもそうは思えないからだ。余りにもその方のお顔が整っているので、私が「ハンサムですね」と申上げたら聞こえなかったのか、反応が返ってこなかった。一行の一人の方が「ハンサムって言ってもわからないのじゃない(年寄りだから)、男前と言った方がよい」と言ったので、皆して「男前ですね」と申上げた。するとそのご老人はすかさず「そうだったとしたら、あなたがたはみんな美人ですね。その上、一人の男の子を連れて。」と言われた。一人の男の子とは言うまでもなく私だ。このまさかの返答にはみなびっくりし、互いに爆笑し、いっぺんに心が豊かにされた。

 私たちは先のご婦人のことはすっかり忘れたかのように、今度はこのご高齢の方と横浜から何と目的地の伊豆高原までご一緒することになったのである。私たちがイエス様を紹介するまでもなく、会話から察知されたのだろう。その方は「あなたがたはイエスさん(を信仰する人)なのですね」と言われるまでになった。

 車中この方の百年足らずの人生の来し方と今の世界に対する警告を聞かせられた。青年のころは法曹界を目指されたが、その後経営の世界に身を置かれたことがお話をうかがうちにわかってきた。この方自身が私たち一行との同行を楽しまれ、一時は「喜びの集い」までお供しますと言われるほどの親密ぶりとなった。誰の付き添いにも頼られず、杖一本で熱海での伊東線への乗り換えも無事に済ませられる一挙手一投足にはただびっくりさせられるばかりであった。

 結局伊豆高原で降りられず、そのまま下田まで行かれ、帰りはバスで下田から伊東まで出られ、再び電車で横浜の老人ホームまでその日のうちに帰られるということであった。今度はその方が名刺を下さったので私たち五人ははっきりお名前を知り、伊豆高原駅では車内と車外に別れ、窓越しに「○○さんお元気で」と別れを惜しんだのであった。

 昨晩いつも持たせていただいている祈り会で次のみことばに出会った。祈り会の前に聖書一章をともに輪読するからである。

こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。・・・モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(旧約聖書 申命記34・5、7)

 私はあのエネルギッシュなご高齢の方とモーセを重ね合わせずにはおられなかった。でもこの高齢の方はイエス様をお知りになっていない、また最初お会いしたご婦人の方も同じである。すべての人を救うためにイエス様は十字架にかかられ死から三日後によみがえられた。この福音を何としても知っていただきたいと思う。沢山のお金を使って、と最初は惜しむ心のあった私たちであったが、すべてを支配し給う主なる神様はそれぞれにご計画を備えて下さっていた。

 これが平成版「東海道中膝栗毛」の仔細であった。まさしく旅は主がともにおられる道連れであった。主は今日も「失われた人」を捜し求めておられる。

(写真は伊豆高原・大室山ふもとから見た相模灘。あいにく曇っていた。)

2009年9月24日 (木)

メゾソプラノリサイタル

Dscn7703  昨日は銀座・王子ホールの藤井奈生子さんのリサイタルに家内と出かけた。会場はほぼ満席であちらこちらに知人の顔が見えてアットホームな雰囲気であった。

 プログラム冒頭は「マタイ受難曲」より取られた有名なアリアであった。私の知っている数少ない歌曲の中でも最たるものである。このアリアだけはこれまでテープやCDで何度か聞き、そのたびに身を任せたくなる思いにさせられてきた曲だ。生で聞くのはもちろん今回が初めてで、ひたすら演奏者の演奏に耳を傾けた。家に帰って来て演奏者の訳された訳詩を見てなるほどと思った。訳詩にはこうあった。

「憐れみたまえ、わが神よ 私の涙のゆえに この心を見てください、眼はあなたの前に涙を流しています。」

 その後は当日のメインであるメンデルスゾーンの歌曲が次々披露された。しわぶき一つさえ出すのがはばかれる演奏会場で一旦しまったプログラムを出すのは勇気がいったが、途中からどうしても歌詞と訳が見たくて出しながら演奏を聴いた。Es weise und rat es doch keiner(誰も知らない、誰にもわからない)のBis dass ich im Himmel war(天国に届くまで、飛んでいけたらいいのに)に共感した。

 「夜の歌」もBis dass der lichte Morgen scheint(明るい朝が光り輝くまで)と歌い上げる演奏者と心が一つになる。こうした歌曲は器楽では味わえぬところがある。

 しばし休憩の後、シューマン、ブラームスと演奏が進められた。ロベルト・シューマンのものはどれも良かった。隣席にご一緒した知人とLied der Brautを鑑賞したが、どんな想いで聞いておられたのであろう。詩が大変気に入った。

 ブラームスの作品ではUnbewegte laue Luft「動かぬ生ぬるい風」を満喫した。最後は二曲のテンポの速い勇壮とも言えるボヘミヤ民謡とセルビア民謡の曲であった。もし歌詞が聞き取れ、理解できれば、一々プログラムを見なくても済むのにと思いながらも結局首っぴきになり、演奏家の表情を見る余裕がなかった。でも最後の曲が終わった時はいつまでも拍手をしていた。

 アンコール曲の最後に演奏者の責めてのサービスであろう。日本語で少し歌われた。残念ながら音楽は私たちにとってまだまだ高嶺の花である。日本の音楽人口は決して多くない。少数の心ある人に支えられてこそ音楽は維持されるのであろうか。「アニメの殿堂」云々も考えて見ると簡単なことではないのだ。

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。まことに御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(旧約聖書 詩篇30・4~5)

(文中ドイツ文はウムラウト部分を表現していないのでご了承下さい。本日の写真は高峰高原の「われもこう」です。)

2009年9月20日 (日)

「秋」 藤本正高

Dscn7947   以下の詩は藤本正高氏の詩である。同氏は昭和13年の4月に雑誌『聖約』を創刊された。以後昭和19年5月に廃刊に追い込まれるまで74号発刊された。戦後は昭和22年に謄写刷りで75号を復刊され昭和42年癌で召されるまで305号(?)まで発行された。この詩は昭和13年10月『聖約』7号に載せられたもので記念すべき創刊時の秋に出されたものである。

 空すみ
 水きよみ
 コスモス咲く秋

 清粛なる自然の中に
 あらゆる人間の虚偽が
 浮刻(うきぼり)のごとく
 はつきり浮く秋

 美辞麗句が
 大言壮語が
 もっともらしいお説教が
 感激的口調の祈りが
 コーラス隊の合唱が
 銅鑼や法螺貝の如く
 空しく響く秋 

 鉱石から 金が精錬される如く 
 真物と不純物が 
 分離される秋 

 不純物は
 デパートの広告気球の如く上に浮き
 真実なるたましい
 底なし沼に沈むダイヤモンドの如く 
 下へ下へと
 恐ろしくも沈みゆく 

 ヨナの如く
 「山の根基にまで」
 地を割って下るどん
 それ以上は
 沈むことの出来ぬどん底
 そこに 基督の十字架は立つ

 どん底のそのまた下で
 落ちてきた者を
 主の十字架は支えている

 「われ陰府の腹の中より呼ばはりしに
 汝わが声を聞きたまへり」

 真実なるたましい
 神の密室で
 神に語り
 神に語られる秋 

(出所は著作集第5巻443頁による。なお上記文章中太字のものは原文では傍点が施してあった。写真は近所で見かけたルコウソウ、フェンスを利用して伸び放題に伸びている。下の聖句は詩の「」部分にちなんで引用した。)

私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。(旧約聖書 ヨナ2・2)

2009年9月18日 (金)

「天下の秋」

Dscn7930  出色の見出しだ。毎日新聞夕刊が今回の政権交代を報告するドキュメント記事につけた見出しである。麻生氏、鳩山氏攻守ところを変えた人々の姿が描かれていた。秋は哀愁を思い寂しく感ずる向きもあろう。また逆に収穫の秋を迎え喜ぶ向きもあろう。この季節特有の感慨がアンビバレントな世相を映していて巧みな記事になっている。

 しかし私自身の根拠なき感想だが、小選挙区制の選挙からすると4年後には再び逆転するかもしれない、と思う。そうすると正反合となり8年先が正念場ということになる。しかし果たして歴史がそう簡単に人間の思う通りになるものか。先のことはわからない。過日も滋賀に帰省し尊敬する叔父や従兄と政治談議になった。私が「少なくとも今回の政権交代で政策決定のプロセスがわかるようになったのは良かった」と言ったら、従兄は「透明性ということか」と私の意見を言い当てた。

 今から半世紀以上前の1955年私がまだ小学校6年の時に書いた日記は以前にも紹介したが、最近その時期、亡母も並行して日記を書いていたことに気づいた。(と言うより、恐らく母は私に日記を書かせるために、自分が率先して模範を示さねばと思って買い与えたのかもしれない。二つに日記は全く同タイプの自由日記であるからだ。)

1月23日の私の日記 
・・・大相撲初場所は千代の山が優勝した。六時のNHK国会ろくおんをきいた。鳩山さんはのんびりと緒方さん鈴木さん河上さんの質問に答えていられた。ぼくのお母さんは「お方はあほだ。やっぱり社会党の人のたずねかたがよい。」とはりきっていられた。

 同日の母の日記には前日義兄が突然来られて接待に疲れ果てたようでNHKのその話は書いていず次のように記されていた。「お天気は上々、雪どけの水がジョロジョロととゆを伝う。自動車の走る音が合間合間に聞こえる。警笛が遠くへ過ぎ去っては又来る、静かな昼前の一時、火鉢にあたりながら家計簿の整理をする。(中略)午後漬物(沢庵味噌漬)」ところが翌日翌々日には次のような記事があった。

1月24日
(略)衆議院解散。与野党万歳三唱の録音を聞く。何の為か拍手位でとどめて置けばよいのに・・・

1月25日
 寒い寒いと云って火鉢に当たって居る中に一月も後僅かとなって了った。午後胴裏を少し縫った。いよいよ総選挙各党予想の顔ぶれ一覧表が出る。目だって新しい顔ぶれもなさそう。党か人か。再軍備反対、憲法改正反対。やはり人より党を選ばねばなるまい。同じ党の中で人格のある人、実行力のある人にと思う。

 この年の秋、自民党は自由党と日本民主党が合同し誕生している。今回の政権交代はその55年体制が完全に崩壊した出来ごとである。半世紀前の天下の秋は自民党総裁代行委員であった鳩山一郎氏が総裁になろうとしていた時期であった。(総裁候補として有力であった緒方竹虎氏の急死によって、翌年春初代総裁として選出される)

 そして2009年の秋、その孫である民主党代表の鳩山由紀夫氏が、その自民党を倒して民主党代表、首相として政権の座に着いた。小学校6年生の目に映じた鳩山さんは「のんびり」としておられる方と写っている。今の小学校6年生はどのような印象を由紀夫氏に持つのだろうか。鳩山一郎氏は日ソ国交回復を実現した人であるが、同時にそれまでタブー視されていた憲法改正を政治の軸とした人である。戦後の日本政治の民主化を求めて田舎の母子が中央政界の政治に注目していたにもかかわらず、様々な膿をかかえながら今日の政治は随所に様々な利権政治をもたらし、制度疲労をかかえている。

 最近、ある人の著作集を手にした。その人は1958年1月に次のように言っていた。
「(略)しかし我等日本人の心は、敗戦によって破れたのでなく、心が破れていたから、かかる戦争をはじめたのである。即ち心の破れは結果でなく原因である。そしてこの心の破れているのはただ日本人だけではない。アイゼンハワー米大統領はパリまで出かけて行って、平和には犠牲が必要であると叫んでいる。彼の意味するのは、軍備の拡充によって平和を来らせようというのである。彼の心も破れている。この心の破れがいつまた世界を破るかわからない。テニスンの歌ったように、古い争いの年をおくって、新しい平和の年を迎えることを我等は熱望してやまない。それには我等が、家庭で職場で、破れを繕う者とならねばならない。これにまさる光栄ある仕事はない。」(藤本正高)

 天下の秋を送るにあたってこの先人のことばを胸に秘めて政治を注視するだけでなく、自ら家庭にあって人々の中にあって繕う者とさせていただきたい。聖書は語る。

あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう(旧約聖書 イザヤ書58・12)。

(写真は生家の近くにある「しんのき川」に面する板塀の連なる風景。)

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