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2008年11月 3日 (月)

対照された愛  ヘンリー・ドラモンド

Dscn5247  パウロはまず愛を、当時の人々が重んじていた他のことと対照することから始めています。それらの細部について述べることはしますまい。愛に比べて劣っているのはすでに明らかなのですから。

 パウロは愛を雄弁と対照させています。雄弁はなんと尊い賜物でしょうか。それは人々のたましいや意志に働きかけて、彼らを高潔な目的やきよい行ないに向かわせる力です。パウロは言います、「たとい、私が人のことばや御使いのことばで話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです」(英訳)。私たちもその理由を知っています。情感を伴わないことばのしらじらさ、その背後に愛のない雄弁のむなしさ、説得力のなさを感じます。

 パウロは、愛を預言と対照させています。奥義と対照させています。信仰と対照させています。慈善と対照させています。しかし、なぜ愛は信仰より大きいのでしょうか?目的は手段より大きいからです。またなぜ愛は慈善より大きいのでしょうか?全体は部分より大きいからです。そうです、目的は手段より大きいから、愛は信仰より大きいのです。では信仰を持つことの効用は何でしょうか?それはたましいを神に結びつけることです。では人を神に結びつける目的は何でしょうか?その人が神に似た者となることです。しかし、神は愛です。それゆえに信仰という手段は愛という目的のためです。だからこそ明らかに、愛は信仰よりも大きいのです。

 くり返しますが、愛は慈善よりも重大です。全体は部分よりも大きいからです。慈善は愛のほんの一部分にすぎません。愛の流れ出る無数の通路のうちの一つでしかないのです。そして、愛のない慈善がずいぶん多くあるのかもしれません。いや、実際にあります。街頭でこじきに小銭を投げ与えるのはいともたやすいことです。たいていの場合、投げ与えないよりも容易なくらいです。ところが、愛はかえってそれを差し控えるほうが多いものです。人は小銭を投げ与えることで、あわれな光景を見て起こる同情心から慰めを得たりします。それはあまりにも安っぽい、私たちにとっては安っぽすぎることです。しかし、こじきにとっては往々にして高価すぎることもあるわけです。もし私たちがほんとうにそのこじきを愛するならば、それ以上のことをしてあげるか、それとも何もしないかのどちらかでしょう。

 それからパウロは、愛を犠牲と殉教に対照させています。私は、自称宣教師―こういう呼び方を初めて敬意をもってするのですが―の少数の人々にお願いしたいのです。あなたがたが自分のからだを焼かれるために渡しても、そこに愛がなければ何の役にも立ちません。何もです! あなたは異教の世界へ、自分の個性に 刻みつけられ、反映している神の愛以上のものを持って行くことはできません。愛は世界語です。あなたが中国語を話せるようになるまでには何年もかかること でしょう。またインドの方言を話せるようになるにも同様の年月を要することでしょう。しかし、あなたが上陸したその日から愛は無意識のうちに雄弁に語りま す。それは、だれでも理解できる言語です。宣教師であるのはその人であって、その人が語ることばではありません。彼の人格が彼のメッセージなのです。

 アフリカの中心の、大きな湖が点在する所で、私は黒人の男女に出会いました。彼らが記憶している唯一の白人はデヴィッド・リヴィングストンです。 かの暗黒大陸※に彼の足跡を尋ねると、何年も前に働いていた親切な医師リヴィングストンの思い出を語る人々の顔は輝いています。彼らはリヴィングストンの語 ることを理解できませんでしたが、そのハートに鼓動している愛を感じたのです。あなたも命を投げ出す覚悟で行くのでしょうが、その新しい任地へ、愛という 素朴な魅力を持って行きなさい。そうすればあなたの生涯をかけた仕事は成功するにちがいありません。それ以上のものを持って行くことはできません。それ以 下のものならば持って行く必要はないのです。もし愛以下のものを持って行くなら、あなたは行く価値がありません。

 あなたはあらゆる種類の教養を備えているかもしれません。また、どのような犠牲を払うこともいとわないかもしれません。それでも、たといあなたが自分のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、あなたのためにも、キリストのためにも、何の役にも立たないのです。
※「暗黒大陸」という表現は問題があると思うが、原文の時代を反映するもので、訂正を加えなかった。(引用者注)

(『人生で最高のもの』 ヘンリー・ドラモンド著 松代幸太郎訳 17~18頁より)

たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(新約聖書 1コリント13・3)

(写真は日本画家日高正子さんの院展出展の作品の一部。ご本人の許可を得て写真撮影したが、隅の部分が欠けており、実物は二メートル大でより明るい色調のもの。)

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