第五十六回 聖霊の御導き(3)
母よりの兼ねての頼み日光見物のお供をなすべき時節、漸く到来いたし、明朝出立日光より松島までもと準備し居るところへ、急信又急信と、名古屋伊勢、大阪、大和、神戸の諸方面より、忽ち五通の電報到着いたし、反対の方角なれば御用の序でにと申す訳にも参らず、如何すべきかと家族会議を開きますると、母は「折角支度いたしたれども、神様の御用では止むを得ませんから、最早や止めにします」と云い又た妻は「私が留守をしますから主人と共にどこまでもお出でなされ」と云い、母は又た妻に向かいて「お前は阿呆なことを言いなさる、日光は北の方、神戸、大阪は西の方で、方角違いへ行ってどうするつもりか」と云い、妻は又た「西でも北でもよろしいじゃありませんか、どこへでも主人についてさえ行けば行けます。海には船、陸には汽車、馬車、自動車、人力車があります。お母さん行きなされ」と言い張りますので、母は遂に我を折って北の代わりに西へ同行することになりました。
大正二年七月上旬母を携えて、東京を立ち出で、横浜より、鎌倉、江ノ島と見物いたし、鎌倉にては某氏の別荘、名古屋にては恩人村井氏邸に数日御厄介になり、伊勢にては諸戸氏邸に迎えられ、百畳敷きの座敷へ案内されて母はびっくりしたりし、同家より一等汽車にて内宮外宮を初めとし諸所へ御案内を蒙り、それより奈良、大和、大阪、神戸、京都を歴遊し数十日の旅行を楽しく過ごして、七条駅にて母を見送り、生まれて初めての親孝行を致しました。
母はこの旅行によりて初めて「我が子が年が年中、南船北馬、絶えず無銭旅行をなして、到るところに歓迎せられ、東奔西走、日もこれ足らず、主の御用を勤め居る」の実相を目撃して、安心したりとて、京都東山の芝生に座して共に神に祈祷したる折「倅が方々にて信用せられ、そのお蔭にて母までも到るところに歓迎せられて」と涙を流して神の恵みを感謝しました。ああ長く母を苦しめ泣かせたる不孝の児、今日聊か母を安んじ慰むるを得たるもの、一に之れキリストの救いの恵みの賜なりと、実に感謝に堪えぬ次第であります。またこの旅行中母は絶えず、私を労わりくれ、荷物さえも自ら提げて少しにても多く私に楽をさせねば承知しませんでした。私はこれによりて「よしその体は苦しめても心を満足させるのが真の親孝行である」ということを悟りました。
(『恩寵の生涯』好地由太郎著246~248頁より引用)
『恩寵の生涯』はあと30頁ほどで終わりますが、久しく掲載を中断しましたのは、どうも好地氏の文章が功なり名を遂げた懐旧談に終始するような思いが致しまして、気が進みませんでした。主イエス様は一切の妥協を廃されました。それはいつも父なる神様を見上げて行動されたからです。人倫による行動でなく、まさしく聖霊なる神様の導きに従いつつ地上を仮の宿として過ごすのが聖書の人々の姿であります。
どんなに素晴らしい主の恵みをいただいても、少しでもイエス様から目を離すと様々な妥協が忍び込み、ヒューマニズムに足をすくわれ、主との生き生きとした交わりの信仰をなくすのではないでしょうか。私という罪人もまたそういう一人であります。みことばだけを頼りに生きたい、聖霊の導きに従いたいのです。
神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。(新約聖書 ヘブル13・7)
(写真は言うまでもなく富士山。凛として美しくとても伊吹山の比ではない。月曜日熱海行きの列車に身を任せ、列車が原駅周辺を通過する際に撮影〔09.1.12〕。あと半時間もすれば日没という時間帯であった。「三四郎」も好地母子もこの雄姿を眺めたことであろう。)


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