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2009年2月21日 (土)

ブレイナードの弟への手紙

Dscn6130  愛する弟よ、

 私は今極めて速やかに見えざる世界に移されることを期待しつつ、永遠の縁に立っている。私はもはや自分が地上の住民であると思っていない、しかして時折『世を去りてキリストと偕(とも)に居らん』(注1)ことを切に願う。神はこの数年に亘(わた)り、御自身に一切を献げなかったなら理性ある者が真の幸福を楽しむことは出来ないとの深い自覚を与え給うた、このことに対して私は神に感謝する。
 この自覚の下にあって、私は幾ばくかのことをなした。ああ、更に多くをなしたらんには! 私は生活の中における聖潔がいかに重要であるかを知っていたが、死の境より引き戻されたばかりであるこの時ほどこのことを痛感したことはかつてない。
 弟よ、聖潔を求められよ、この幸いな目標を指して前進されよ。そして渇ける魂をして、絶えず、『御像(みすがた)に似せられるまで飽き足らず』(注2)と叫ばしめよ。
 かつて私の考えの中には、幾多の利己的なものが入っていた。私はこのことを恥じ、我が魂はそれを思う毎に謙(へりくだ)らしめられる。しかし神に感謝せよ、大部分の時私は神の栄光が顕わされ、この世に御国が拡められんことに対してかくも大なる関心を実際に持つことが出来たので、過ぎにし年を顧みる時に満足を覚えるのである。
 愛する弟よ、私は御身がみずからの聖潔を追求し、健康の許す範囲において断食と祈祷に身をゆだね、一般のクリスチャンの標準以上の生活をなすことを切に望むとともに、御身が伝道のわざに励み、真の宗教と偽りの宗教とを区別するために労し、かつそのために、心に臨み給う神の御霊の働きに心を留めんことを、厳かに願う。私は御身がいかに多くの偽宗教がこの世にあるかを充分に知っていないではないかと思う。
 死に臨みつつある働き人の名により、および死して今活き給う主の御名により、福音にふさわしく過しかつ歩むことを我が民に奨められよ。彼らに対する神とその民の期待がいかに大であるか、また、もし彼らが悪に陥るならば、他の哀れなるインディアンに致命的な害を与えるのみならず、いかに神の御旨が傷つけられるかを告げられよ。
 また、もし彼らの生活の中心が霊的で用心深く、かつ聖くなかったならば、たとえ自己の幻想により第三の天まで引き上げられたとしても、彼らの経験は蝕まれたものであり、その喜びは当てにならないことを強調されよ。これらのことを勧めることにより『己と聴く者とを救うべし。』(注3)
 またもし御意に適うならば、過去の年月におけるすべての労苦と艱難が依然として続いても、私はなお生き長らえて伝道のわざにより神に仕えんとの切なる願望を持っていることを、神は知り給う。しかし今や神の御意はそうではないので、私はそれに全く満足し、かつ全き自由をもって『主よ、御意をなし給え』(注4)と言い得る。
 御身を罪の世に残して行くことを考えると、私の心は痛む。恵みにより私は世の嵐や試みより殆んど自由とせられたと信じているが、これらのものがなお御身の前にあることを思うと、憐みを催さざるを得ない。しかし『エホバは活きていませり、わが磐はほむべきかな。』(注5)彼は変わりまさぬ大能の友にていまし給う。また私は、彼が私に対すると同様に御身の導師であり助け主であられることを信ずる。
 愛する弟よ、『われ今御身を、主およびその恵みの御言に委ね、御言は御身の徳を建て、すべての潔められたる者とともに嗣業を受けしめ得るなり。』(注6)個人的にかつ公けに、御身が神の臨在を楽しみ、『ヤコブの全能者の手によりて手の臂を強くせんことを。』(注7)これ我が切実なる願いであり祈りである。

             死に臨める御身の兄
                デイビッド・ブレイナード

(『ブレイナードの日記』104~106頁引用。引用者注1 ピリピ1・23、注2、注3 1テモテ4・16、注4、注5、注6 使徒20・32、注7。いずれも文語訳ですが7つの内私には3つしかわかりませんでした。読者諸氏が見つけてお教えくださいますように。)

(写真は井伊家下屋敷・玄宮園から見た彦根城。井伊直弼は十四男であった、だのに兄の養子となり、後に藩主になった。ブレイナードは直弼より100年前の人である。彼の地上での姿は井伊家のようなものは何も残されていないだろう。兄が弟に宛てたこの手紙は真情にあふれ、霊の古典となっており、彼は今もなお主イエス様を心から愛する者の心に生きている。)

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コメント

〔注7〕は創世記49・24「しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。」の文語訳だと今日気づきました。ヨセフの生涯を思うとき、ブレイナードはまことに箴言25・11「時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。」にぴったりのことばを愛する弟に書いているのです。なお、『ブレイナードの日記』は絶版ではありますが、引用したものとは別に、新しい訳として装いも新たにした本がやはり「いのちのことば社」より出版されています。

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