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2009年7月 6日 (月)

Mさんの召天

Dscn7363  先週の土曜日、Mさんが72歳の生涯を閉じられた。ホームで点滴生活が続いた後、痰が喉につまったのが原因のようだった。奥様も二年前召され、二人のお嬢さんを遺して先に逝かれた。試練に会われ、主イエス様の救いを体験された。

 私は2007年の11月に奥様が召された直後のMさんを二度ほどホームにお訪ねする機会があった。その時、Mさんはお体も御不自由で歩くことが困難で、ご自分から話すことも難しい状態であった。

 ところが、その時一緒にお見舞いした方々とともに主イエス様を賛美し、聖書のみことばを輪読し、ともに祈りの時が与えられた。お見舞いに伺ったいずれの者も肉親ではなく、主イエス様を信じている者同士であったが、つっかえつっかえしながら読まれるMさんをふくめて新約聖書のローマ人の手紙10章全体を輪読することができた。全部読み上げたときは思わず心の中で「万歳!」と快哉を叫んでいた。

 Mさんの心に聖書のことばは誰よりも近かった。

みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。(新約聖書 ローマ10・8)

 その後もう一回お訪ねしたことがある。その時はすでにローマ12章に進んでいた。その時はお嬢さんと一緒だった。その時も輪読した。Mさんの順番となると何度も立ち往生される。ほとんど聞き分けるのが難しい声だが、お嬢様に助けられながら必死に読まれるのであった。そのみことばはスラスラ読まれるみことば以上に私たち一人一人の心に語りかけるものとなった。そのようにして読み終えた時、前回と同じようにみことばが私たち一人一人の心を照らした。ちなみにそのとき示されたみことばを書き記してみよう。

大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(同5節)互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。(同16節)

 その後先週の土曜日に召されるまで、私自身の怠慢でお見舞いすることはなかったが、多くの友がお見舞いされ、一ヶ月前に倒れて点滴生活に入るまで、この聖書一章ずつの輪読は続いた。そして隣のベッドの方も、この父娘の証を目(ま)の当たりにされ、主イエス様を信じられたと聞いている。最近では体が衰弱されたが最後までみことばだけにはしっかり反応されたということだった。

 今日は、親交をいただき、ともに祈りの友だった皆さんが集まり、お父さんの火葬に立ち会った。しかしそこにはMさんを亡くした涙以上に、主がMさんに晩年の試練をとおしてご自身を明らかに示され、天国へまで導かれたことを讃える思いが満ちていたのではないだろうか。遺された姉妹お二人が互いにいたわりあっている姿が印象的であった。

 もしMさんご家族が主イエス様を知られなければ、これ以上の試練はないし、ましてや遺された姉妹にはこの先涙に明け暮れ、過去をのみ振り返る生活となったことだろう。しかし姉妹お二人が助け合って、主を愛し、先に天国に行かれたお母様お父様との再会を待ち望みつつ主を証し続けようとされている。来週の14日には召天式が用意されている。ひとりでも主をお知りにならない方が永遠のいのちの与え主である主イエス様を知っていただくことこそが今の姉妹たちの祈りである。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)

(写真はドイツ・ミヘルスベルクの草花)

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