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2009年7月 8日 (水)

「聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。」

Sdsc05782  主がどれほど聖いお方であるか、そして私たち自身は、その主なる神様によって聖い者として造られていたにもかかわらず、どのようにして罪を犯し、神から離れてしまったか。だが、主なる神は、その私たちをお見捨てにならず、私たちを徹底したご自身の聖さにあずからせようと、愛をもっていかに導いてくださるかを聖書をとおして知らされた。

 標題は今日拙宅の家庭集会にわざわざ東京杉並からみことばを運んでくださったYさんの聖書からのメッセージの題名であった。上記は私の拙い感想である。先週も感じたことだが、私自身いかに聖なる神様から遠く離れていたかを、鋭く問われた感謝な集会であった。いつもよりは少なかったが、それでも4、50名の方が集まられたのではなかろうか。

 ところで今日から看板聖句を変えた。以下がその聖句であった。

神の言(ことば)は生命(いのち)あり、能力(ちから)あり、両刃(もろは)の剣(つるぎ)よりも利(と)くして、精神と霊魂(たましい)、関節(ふしぶし)と骨髄を透(とう)して之を割(わか)ち、心の念(おもい)と志望(こころざし)とを験(ため)すなり。(新約聖書 ヘブル4・12 文語訳)

 どのようなメッセージをして下さるかわからぬまま、私は私で主に示されるまま看板聖句のみことばを選んでいる。ところが今日の家庭集会はこの通り、みことばが私たち一人一人に迫るものとなったのだ。聖書全巻は66巻の書物だ。そして全巻すべてこれ上記のごとく鋭きことばに満ちている。聖書は、私たちをして罪から離れさせ、神様の聖さにあずからせようとする書物だ。だから、私たちはただそのみことばを信じて読むだけで良いのだ。ところが、ほとんどの人がクリスチャンと自称する人をふくめて何とか人間理性を納得させようとして己が理性を神の座において必死に努力しているのでないだろうか。そうではないのだ。虚心坦懐に聖書のことばに自分を合わせることだ。私たちは聖書自身に生命(いのち)があることを露忘れてはなるまい。

 Yさんは創造のみわざとしてイザヤ6・3、創世記1・26~31、2・9、2・16~17を、また人がいかにして神様からはなれて嘘をつくものとなったか、創世記3・1~6、3・22~24を引いてくださった。

 そして人類最初の悲劇である兄カインによる弟アベルの肉親殺しに私たちの目を向けさせてくださった。創世記4・1~14である。しかしカインは私たち、アベルはイエス様をあらわすと語り、イエス様ご自身の死の犠牲のみことばを紹介してくださった。マルコ14・22~25である。

 そしてこの壮大な創造以来変わることのない罪人に対する贖罪の愛が、パウロを通してエペソ1・3~14において明らかにされているところを読んでくださった。

「生死を大切にする神の戒めをアダムは妻エバに正しく伝えませんでした。お互いの間の愛が未熟だったのであります。しかしそのようなお互いがイエス・キリストの贖いをとおしてまことの愛を体験的に知るようになりました。それはすべて神の栄光がほめたたえられるためだったのです」という意味のことばでまとめてくださった。

 そして聖書におけるこの神の栄光をほめたたえる箇所を試みに三箇所引用された。黙示録14・1~5、19・1~8、詩篇8篇である。最後にエペソ3・14~21のパウロの祈りと本日の引用聖句詩篇93篇が朗読された。標題の言葉はその詩篇93篇の最終節のことばである。以下パウロの祈りの一部を写して置く。多くの場合、祈りとはあれをしてくださいこれをしてくださいという自己中心の祈りが多いのでないか。パウロの祈りは「あなたの祈りは、それでも祈りなの?」と問われる思いがする。

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3・17~19)

(写真は親しい友人Mさんが送ってくださった、ドイツ・ミヘルスベルクの虹である。私たちは6月18日成田12時頃の出発が一時間遅れ、ミュンヘンに着いてからはアウトバーンの増幅工事などの事情でさらに二時間遅れ、都合三時間到着が遅れ、宿舎には夜の10時半ごろ着いた。その時私たちの到着を今か今かと待っていてくださった人々の前にこの虹は現れたという。知らなかったとは言え、待ち焦がれ心配してくださった人々の喜びの歓声が聞こえてくる思いがする。虹は神様と私たちとの契約でもある。創世記9・12~16参照。)

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