耕地の開拓
隣の家は30年来空き家である。年月の風化とともにいかに家屋が劣化して行くか、毎日窓越しに見させていただいている。それはあなたの肉体もいずれはそのようにして滅びに向かっていくのですよ、と語りかけるように見える。見たくないが、それが現実なのだ。
家屋の前には庭がある。雑草は生え放題である。隣家の関係上、その雑草を刈らざるを得ない。先年にはアンテナ塔が腐食して、私の二階の部屋にまで倒れ掛かりそうな勢いであった。さすがにこれは我慢できず、東京にいらっしゃる持ち主に電話した。そちらで処理して欲しいと言うことであった。
早速ご近所の方が協力してくださり、バーナーで一連の付属施設をヴェランダごと焼き切って撤去してもらい、ことなきを得、ほっとした。現在では、つたが家に絡まり、そのつたが枯れて赤茶ける、瓦はぼろぼろ。歯の抜けたおばあさんのようなものだ。時は確実に家を劣化して行く。あらがうことは出来ない。
ところが、不図した弾みで隣地がよみがえりそうになってきた。家人が自家で南瓜の種を蒔いたら成長してきて、狭い我が庭では生育困難になって来た。家人の友人が隣地を貸してもらったら、とフッと言った。家人は早速電話に飛びついた。電話口の向こうで持ち主が懐かしそうに出て、「使ってください」、と言った。
こうなると家人は早い。ズボンに履き替え、鎌を手にし、スコップを手にし、見る見るうちに土地を整備して南瓜を移植した。その実行力たるや天晴れである。亭主に指一本の協力を求めない。わずかに紫蘇(シソ)も移植するからそれを持ってきて欲しいと言っただけだ。自身で不甲斐ないと思う。本来、これは男の仕事だから。
家人から学ぶことは多い。性格が違い、若い時は喧嘩を良くした。最近では余りしなくなった。家人が圧倒的に我慢しているのだろう。諦めているのかも知れない。家人の愛に甘えてばかりいないで、自分でも家人を助けることをしたいと思う。
耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。(旧約聖書 エレミヤ4・3)
(写真は言うまでもないが、そうして移植された南瓜。私の部屋の真下であるから撮影に事欠かなかった)


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