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2009年7月 3日 (金)

聖書の真理に仕える喜び

Dscn7298  20年近く、Sさんに一貫して月一回聖書のメッセージを拙宅で伝えていただいている。私はリタイアしている身だが、彼は現役であり、私よりは、2、3歳下である。しかしそのたたずまいは私よりもはるかに老成しておられ尊敬してやまない主にある兄弟である。

 単純に計算しても20年を通算するなら、年に10本としても200本のメッセージになる。私がじかにお聞きするようになったのはここ4、5年ほどであるから私としても内4、50本程度は聞いている勘定になる。しかしいつ聞いても新鮮である。Sさんの心がいつも主イエス様に向いているからだろう。

 昨日も開口一番、「偶像崇拝は危険である」と言われた。また「日本には八百万の神がいると言われるが、いずれも名前だけ(名前が違うだけ)だ。聖書が述べるように、存在するのは(唯一の)神と悪魔だけだ」と断言された。寸鉄、人を刺す思いがした。

 そして人間にとってはいかにすれば全能の主がともにいてくださるかを考え行動することが最も大切であるかを懇切丁寧に語ってくださった。Sさんが用意されたみことばは以下のものであった。

神の国はことばにはなく、力にあるのです。(新約聖書 1コリント4・20)

 主イエス様は確かに私たちの本質をいつも知った上で導かれる方だ。私たちの本質と神様についてはイエス様によって次のように語られているという。

してみると、あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7・11)

 ことごとく神に背く悪い者が人の本質だ。一方、神様は天の父としてそのような悪い者を忍耐強く待っていて下さり、私たちに最善を与えるために働いていて下さる。こんな主の愛を知ろうともせず、私たちは神を離れて一体どこへ向かって行こうとしているのか。

 50分余りのメッセージを正確に伝えられないのが、残念だが、一つの「しわぶき」もないまま、5,60人近い方が一軒の狭い我が家屋もものかわ身を寄せ合って真剣にみことばに耳を傾ける、このような家庭集会が今の時代に存在するのだ。

 最後にSさんが言われたことばと引用聖句を記して置こう。

「パウロは絶えず、自らを主イエス・キリストのしもべ、と言った。主を信ずる者を通して今も主は主を信じない者にご自身を見せたいと思っておられる。そのためには私たちは主を恐れること、へりくだること、かたくなにならないこと、主を愛し慕うことだ。そうすれば私たちに敵対するものはない。なぜなら全能の主がともにおられるからだ。(神の力をあなたも体験してほしい。そうすれば周りの人にも福音はおのずと伝わる)。( )は私のことば。」
 文章中引用したもの以外に、2コリント8・4~6、詩篇94・9、マタイ6・26~30、6・33、ローマ8・14~17、エペソ1・3~6、コロ1・21~22、詩篇131・2、マルコ15・33~38、ヘブル10・19~22、詩篇139・23~24、ローマ11・22、箴言6・16、箴言16・18、イザヤ57・15、詩篇19・13、2コリント10・4、1ヨハネ5・4~5などがあった。

聖書に しわぶきなくて 人あふる

ひとつ道 聖書語り 友帰る

(写真はドイツ南西部ウルムの教会内部。家庭集会でみことばに耳を傾けることは主イエス様にとって教会内部でパイプオルガンに身を任せる会衆と何ら遜色はないであろう。いやむしろ身は貧しくとも主のひざもとでみことばを聞くことこそ主が最も願っておられることでないか)

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