本の泉

2009年9月20日 (日)

「秋」 藤本正高

Dscn7947   以下の詩は藤本正高氏の詩である。同氏は昭和13年の4月に雑誌『聖約』を創刊された。以後昭和19年5月に廃刊に追い込まれるまで74号発刊された。戦後は昭和22年に謄写刷りで75号を復刊され昭和42年癌で召されるまで305号(?)まで発行された。この詩は昭和13年10月『聖約』7号に載せられたもので記念すべき創刊時の秋に出されたものである。

 空すみ
 水きよみ
 コスモス咲く秋

 清粛なる自然の中に
 あらゆる人間の虚偽が
 浮刻(うきぼり)のごとく
 はつきり浮く秋

 美辞麗句が
 大言壮語が
 もっともらしいお説教が
 感激的口調の祈りが
 コーラス隊の合唱が
 銅鑼や法螺貝の如く
 空しく響く秋 

 鉱石から 金が精錬される如く 
 真物と不純物が 
 分離される秋 

 不純物は
 デパートの広告気球の如く上に浮き
 真実なるたましい
 底なし沼に沈むダイヤモンドの如く 
 下へ下へと
 恐ろしくも沈みゆく 

 ヨナの如く
 「山の根基にまで」
 地を割って下るどん
 それ以上は
 沈むことの出来ぬどん底
 そこに 基督の十字架は立つ

 どん底のそのまた下で
 落ちてきた者を
 主の十字架は支えている

 「われ陰府の腹の中より呼ばはりしに
 汝わが声を聞きたまへり」

 真実なるたましい
 神の密室で
 神に語り
 神に語られる秋 

(出所は著作集第5巻443頁による。なお上記文章中太字のものは原文では傍点が施してあった。写真は近所で見かけたルコウソウ、フェンスを利用して伸び放題に伸びている。下の聖句は詩の「」部分にちなんで引用した。)

私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。(旧約聖書 ヨナ2・2)

2009年7月11日 (土)

『ヨハネの黙示録 すぐに起こるはずのこと 第1巻』 (ゴットホルド・ベック著 キリスト集会1998年発行 )

Dscn7658  この本はすでに10年以上前に発行された本である。しかしこの本の母体はさらにそれよりも10年以上前に、吉祥寺キリスト集会の火曜の学び会で一年半にわたって実際にベックさんが語られたものであり、一人の方がその晩年に録音テープからの聞き書きを買って出られ、その原稿をもとにして編まれたものである。全部で4巻あるが今日はその内の第1巻のみを紹介する。

 そもそもこの本は私の書棚に10年にわたって鎮座ましましていたが、多くの時間は埃にかぶったままであった。その私がこの本を今回読む気になったのは、年初来交わりを持たせていただいているAさんとの語らいを通してであった。Aさんは親友により学生時代からイエス様が再臨されることを度々聞かされてきたと言う。そして再臨の主イエス様にお会いする時、主イエス様を受け入れていない者は裁かれる、という聖書の示す真理が頭の片隅にあったそうだ。今回の突然襲った病をとおして親友のこのことばを思い出し、親友に助けを乞い、主イエス様の救いを受け入れるようになったということだった。

 Aさんは先頃出版された『神の聖なる戒め』を病床で読まれた。そして聖書を少しずつ読まれながら、再臨のイエス様について知りたいと言われた。私自身主イエス様の救いにあずかって40年になるが、再臨のイエス様を真に知っているかというと、まことにもって心もとない。そういうこともあって、この本を改めてひもときながら、黙示録を真剣に読もうと思ったわけである。

 黙示録はこの本で言われているように1時間15分もあれば読むことができるボリュームに過ぎない。もちろん、それでは単に眺めたに過ぎないであろう。一方でその内容は確かに難解である。しかし、この本を読むと黙示録の書かれた目的が次のように書かれており、どのように読めばいいかがわかり、私の読む目的(例えば、再臨とはいつのことか、またどのようにそれが出現するかのみに関心をもって読むこと)が間違っていたことに気づく。以下はこの本に記述されている黙示録を読む「目的」について書かれた文章の抜粋である。

 当時、小アジアにある諸教会では、信者たちが苦難に対しての備えをするために、確固とした信仰の基礎に立つことと目を醒ますことが求められていました。黙示録は繰り返して、「小羊である主イエスに従い通す者は勝利に導かれる」といっています。「小羊」という言葉は、黙示録に28回でてきます。小羊なるイエス様は、再びこの地上に来られますが、それは罪の問題を解決するためにではなく、ご自身の権威を明らかにするために来られるのです。

 イエス様は、教会を建てるために再び来られるのではなく、新しい天と新しい地とを創造するために来られるのです。ですから、黙示録が私たちに伝えてくれるのは、「イエス様が再び来られる」ということと、「イエス様が唯一の支配者である」ということです。

 イエス様は、クリスチャン達の苦難と試練のまっただ中において、ご自身が再び来られること、そしてご自身が唯一の支配者であることを、主を信じる人々に啓示されたのです。

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。(新約聖書 黙示録 21・4)

もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、・・・もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、・・・(黙示録 22・3、5)

 神の都には悲しみも苦しみももはや存在せず、主のしもべたちは主に仕え、主が永久に支配者となられることが約束されているのです。

 「黙示録はイエス様のことを何と言っているのだろうか」。私たちがこのように問い続けながら黙示録を読むならば、私たちはいつも黙示録から啓示を受けることができます。

 イエス様は、神の国の王であり、裁き主であり、世界の支配者であるお方です。イエス様は隠れたことを明らかにすることがおできになるただおひとりのお方です。なぜならば、イエス様はすでに暗闇を通られたからです。黙示録は私たちに、混沌の中にも隠されている光があることを示しています。人間は混沌の中にあっても、やすらぎを与えられています。これが黙示録の主題なのです。イエス様はすべてを超越しておられますが、それでも、小さな私たちのことをもよく考えていてくださるお方なのです。

(同書27~28頁より引用。太字の部分は引用者がそうしたに過ぎない。)

 この本が黙示録をカバーする範囲はちょうど1・1~3・22までである。この該当聖書箇所を著者は大きく第一部・第二部と分けているが、第一部は黙示録1章がそれに当たり、主イエス様について、その裁き主としての姿がとことん明らかにされる。そして著者は黙示論解釈の方法を4つ示されるが、自身はその中で「終末論的解釈」を取ると明記されている。第一部の末尾の部分は次のように書かれている。

 黙示録第1章に現われるみ姿は、裁き主です。イエス様が裁き主であり、教会は裁かれるものです。裁きはこの世から始まるのではなく、まず、神の家から、教会から始まります。

なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。(1ペテロ 4・17)

 しかし、教会にたいする裁きは、あわれみの裁きです。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。(黙示録 3・19)

 このあわれみの裁きが、終わりの日に私たちを神の怒りの裁きから守ってくれるのです。ローマの皇帝にではなく、イエス様に世界の支配権が与えられ ています。これがヨハネの見たところです。そしてヨハネはイエス様の足もとにひれふしました。イエス様の足もとは、もっとも安全な場所です。「世界の支 配者であるお方が自分の主である」。これがヨハネの喜びでした。※

 私たちはこの箇所を正しく理解するために、教会の課題が何であるかということをいつも考えていなければなりません。教会の使命は「暗闇を照らす」 ことです。まことの光はイエス様ご自身ですが、イエス様はご自身の光をご自身の身体である教会を通してこの世に与えようとしておられます。イエス様は教会 をご自身の道具として用いられたいのです。(中略)私たちの内からは暗やみしか出てきませんが、イエス様の内からは光が輝きだします。イエス様が私たちを お用いになることができればできるほど、イエス様の光が私たちの内から輝きだします。イエス様が私たちを救われたのは、私たちをお用いになるためです。私たちの内からイエス様ご自身の光が輝きだすためです。これが教会の使命であり、また、課題です。(同書94~96頁 ※ヨハネの黙示録が書かれたのは紀元 95年で、その時ヨハネは皇帝崇拝を強要され、それに従わなかったためにパトモス島に流されていた、引用者注。)

 第二部は黙示録2章3章がそれに該当し、「天に上げられたイエス様が教会に与えられたみことば」という副題がつけられている。こうして7つの教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤ)に主イエス様が語られることをみことばに即して一つずつ読むことができる。そして私たちはこの7つの教会に宛てられた手紙がどれ一つとして自らに当てはまらないものはないことに気づかされる。特に最も厳しい裁きの対象であるラオデキヤの教会(この教会はまさしく今日の組織された教会を象徴する、なぜならそこでは主イエス様が教会の外に置き去りにされているからである)にさえ、主の愛は悔い改めることを待ち望んでおられることを知り、励まされる。

 これら7つの教会への手紙の本質を聖書を通して読み進めることこそ、著者が最も願っていることであろう。ある者はこれらの説きあかしが余りにもすばらしかったので、テープを聴いた段階のことであったが、「ベックさん、これらの真理は直接神様から声が聞こえてくるのですか」と質問したそうである。ところがベックさんは当惑気味に、言下に否定され、私のメッセージは不完全です、と言われたそうである。

 私たちは日ごろから、ベックさんに「聖書は何と言っているか、それが大切だ。人の考えが大切なのではない。」と言われているが、この著作もそれを裏打ちする本である。読者自身がこの著作を参考に黙示録そのものからイエス様が何を伝えようとなさっているか、祈りながら読むべきことが具体的に示されている。私は今回読了して、私たちの生活上、個人的に遭遇する困難やまた教会内の問題などがどれ一つとして主イエス様のご支配の外にはないことを知った。また、この主の支配を全面的に今認めることが「再臨」に対するもっとも肝要な備えであることを知ることができてうれしくなった。引き続き既に刊行済みの2巻(1999年)3巻(2001年)4巻(2004年)と後続する著書を読み進めてゆきたいと思っている。

 本文360頁、間にグラビアページが挟まれており、総ページ数406頁の本になっているが、読者に読みやすく工夫されている。しかも、この本はわずか300円の廉価で手に入る。一人でも多くの人に是非読んでいただきたい本である。

2009年6月 3日 (水)

『神の聖なる戒め』ゴットホルド・ベック著(キリスト集会2009年6月1日発行)

Dscn7219  この本は、モーセの十戒をひたすら全聖書から明らかにしようとした本である。聖書をとおして、私たちと主なる神様の関係がいかなるものであるかを、私たちの性質の根源にまでさかのぼって、明らかにする。

 多くの人は神は存在しないとまで言わないかもしれないが、神は存在しないかのように生きているのが現実である。そのように神を無視して生きる者に対して神ご自身の存在がいかに揺るぎのないものであるかがみことばをとおして証明される。したがって主の存在を否定することが、とんでもない神への「債務」であることが明確に示されている。

 かく言う私も、この本をもっと早く読んでおくべきだったと思う。私の人生に聖書なるものが入ってきたのは27歳の時だから、かれこれ40年になる。それ以前の生活に神様が存在していなかったわけではない。私の中の良心は私が悪いことをしそうになる時、それを必ず咎めたのも事実であるからである。

 ところがこの本を読んでみると、聖書を知って40年間過してきた生活の中にあっても、私がどれだけ神を恐れて生きてきたか疑わしい。長い間高校生を教えてきたし、家庭では5人の子どもを育ててきた。しかしそれはある時は神の声を、ある時は人の声を聞きする右顧左眄の生活であったことを告白せざるを得ない。これすべて神認識の不足である。

 しかし人が霊的破産を経験することなくして神認識はありえないという極めて大切なことが語られており、13章に分かたれる各章はそれぞれどれを欠くこともできず相互に密接につながっているが、今回は、9章の「殺してはならない」と最終章の「隣人のものを欲しがってはならない」を重点的に述べる。

 「殺してはならない」という主のご命令は、現代国際政治において、国家がパワーポリティックスに陥ることへの警告から始まり、国家の防衛力の必要性、死刑の意味などが聖書のことばをとおして明確にされている。もちろん個人にあっては堕胎や自殺への警告が語られ、私たちが神が与えて下さるいのちという「恵みの時」を自分勝手に短縮することが厳に戒められている。そして、「殺してはならない」という否定的な命令は、むしろ肯定的な「愛しなさい」という命令に転ずるものであることに注意が向けられている。これほど多岐にわたる考察がよく読むとこの一章の中に網羅されていることに改めて驚かされた。

 この9章のエキスであると私が思う著者の文章を書き写しておく。(以下、同書161頁より引用)
 「人間のいのちとは、何と重いものでしょうか。人間のいのちは、確かに生まれたときに始まりますが、終わりはありません。人間はみなだれでも永遠に生きます。私たちは、この地上でのいのちを、自分のた めに生き、また自分のために死ぬことができるかも知れません。

 しかし、死後生き続けることからは、決して解放されることはありません。私たちが望もうが望 むまいが、永遠に生きなければなりません。問題は、私たちがいったいどこで永遠に生きるかということです。救い主としてイエス様を受け入れた者について は、聖書は次のように言っています。

 私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(新約聖書 1テサロニケ4・17)

 最終章の「隣人のものを欲しがってはならない」は自己の欲望こそが生きる原理になっていることへの大きな警告であり、私もまた己が胸をたたきこの罪を認めざるを得ない。そしてこの最終章にふさわしくルカ18章のパリサイ人と取税人の例をとおして神の戒めを適用することがどんなことを意味するかが象徴的に語られ、副題である「モーセの十戒」にふさわしく終わるのである。

 私は今回二回読んだが、何回も読んでみたい本である。そして真剣に読めば読むほど生きることの喜びが心から沸いてくる不思議な本である。

(写真は月曜日聖路加病院に行った時、見た碑。「みなに仕える者となりなさい」とは主イエス様のご命令、戒めである。)

 

2009年5月29日 (金)

『生と死について』(マルティン・ルター著金子晴勇訳創文社刊)

Dscn7208  Kお母さんの葬儀がきっかけで、この本を手にした。やっと読み終えた。充分理解したとは言えないが、いくつか聖書についてあいまいだった事がらがはっきりしたところもある。

 たとえば、今は盛りの花々の枯れたり散ったりする姿を見ることにおいてである。写真を撮るとき、どうしてもそのような地に落ちんばかりに萎れた花、あるいはもはや枯れているとしか言いようのない醜悪な花の姿はできるだけ避けてきたつもりだ。これからもそのことにおいては変わりない。

 しかしルターに言わせると、植物・動物などの被造物の死は人間の死と異なり、そこには人間が感ずるような痛みはない。自然である。それに反して人間のみが神の怒りを受けて死ぬ。人間は死という裁きをとおして永遠の滅びに向かうか、永遠の救いに向かうかの分岐点にあり決断を迫られていると言う。

 この本は詩篇90篇の講解を目指しているが、その後、彼は創世記の講解に入ったと言う。確かに150篇ある詩篇の中で、90篇は唯一、「神の人モーセの祈り」という標題がついている。そのモーセが繰り返し繰り返し述べるのは死に直結する神の激しい怒りであり、その中で神様を心底恐れ、ささげる祈りが中心となっている。この本を読むと、主に向かってささげる祈りが、いかに素晴らしいものであるかがわかってきて、励まされる。

 今までこの詩を出エジプトを経験した指導者モーセの祈りとして特別読むことがなかった。しかしそうではないことがわかった。それが私にとっての新しい気づきの中の大切な一つの点である。それからここにはくわしく書けないが、ルターその人の激しいまでの情欲の分析を初めとした、きよい神様の前における徹底的な罪の指摘があり、とても500年前の人とは思えぬ親近感を覚える筆致で書かれている内容がある(彼がこの講解をしたのは51歳なのだが)。

 まだまだ語るべきことは多くあるが、詩篇90・7の講解の中で書いている文章を次に写しておく。

 聖霊は、悪魔が多方面にわたって用意周到であり、いついかなる時でも絶望と憂愁のかかる想念によって、われわれに襲いかかろうと試みているのを知っている。それゆえ、聖霊はいたるところで諭しかつ励まして、キリスト教徒たちが神の権威にもとづいて相互に教え力づけ合うように導きたもう。
 だからわれわれの間にあっても相互によく思いやり、熱心に関与し合わなければならない。つまり、あなたが神の戒めに従って私に聞き、私が戦いと危険の中にあるあなたを慰め、あなたは私を信じるようになる。今度は私が同様の危険の中にあるとき、私が交替してあなたに聞き、あなたを信ずべきである。(中略)パウロは幾多の点で神の言葉に関して学識が深くはるかに熟達していたのであるが、テモテ、テトス、エパフロデト、またローマから来た兄弟たちはパウロに出会って、このように彼を慰めたのである。実際、最も偉大な聖徒たちでさえ、ある時期には彼らの方が弱く、他の人たちの方がいっそう強いこともある。(同書77~78頁引用、実は中略のところに神学博士ルターと他の人たちの助け合う関係が具体的に描かれている。)

 ここまで読まれた方は一体どうしてこれが詩篇90・7と関連すると思われるかもしれない。しかし、間違いでも何でもない。その上、彼は随所でこの世の哲学と教皇主義者の誤謬を聖書に照らして解明する。上述の文章もまた聖書の根底にある「万人祭司」の根拠が「死」の意味を真正面に受けとめる中で書かれていると言えるのでないだろうか。

 若くっても真剣に人生を考えようとする方々、また老年期に入り、「死」を意識せざるを得ない方々に、是非一読していただきたい本である。

まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。(旧約聖書 詩篇90・7)

2009年5月16日 (土)

「聖書物語」 絵:F.ホフマン 文:P.エーリスマン 訳:小塩 節

Dscn7114  昨日の東京新聞夕刊に、松井るり子さんがこの本の紹介を「ホフマンの旧約・新約聖書」と題して、なさっていた。だからこの紹介は二番煎じだ。けれども私は私で松井さんとは違った紹介をしたい。

 この本の存在を知ったのは夕刊のその松井さんの記事を通してであった。早速、市立図書館に走った。ちょうど閉架図書にあり、うまい具合に借りられた。他の用事もあってすぐには読めなかったが、寝る前に旧約聖書を読み終え、新約聖書にはいることができ、今朝続きを全部読み終えた。だから読み終えるのにそんなに時間はかからないだろう。

 松井さんは児童書の古典として、ギリシャ・ローマ神話、イソップ物語につづいて三番目にこの書を紹介されていた(この「続絵本がともすあかり」という題のシリーズの通算では55回目に当たるが)。松井さんは小中高と教会の日曜学校に通われ、今はお母さんが日曜学校の先生としてご高齢だが、この本をテキストとして用いられているという。ご自身でも何度も目を通されるということだ。

 そんな本を私は知らなかったが、先週孫に読み聞かせた「おおかみと七ひきのこやぎ」もホフマンの絵であったことを思い出した。おおかみがこやぎをだますシーンなど興味深々と3歳の孫と読むことができた。そちらはカラーだが、この「聖書物語」の50枚の絵はすべて白黒である。写真に載せたのは何回か前のブログで紹介したヨナ書にちなんだ場面である。ヨナを飲み込む魚の大きさがわかる。実際の絵はまだまだ図柄が大きく一部を写したに過ぎないから、どんなに迫力に富んだものかわかっていただけるだろう。

 松井さんは聖書の話は「神話」として受け取っておられるようだ。その点、私はすべて「事実」として信じている。聖書66巻を100頁の本でまとめることは至難の業であるに違いない。だから松井さんはもう少し解説があってもいいのではないかと書いておられた。たしかに話が飛ぶので理解しにくいところがあるかも知れぬ。しかし私にとっては聖書全巻を読ませてもらった思いで、うれしかった。文章がまたすべて聖書本文に忠実のように受け取れた。そのことも大変うれしかった。「神話」として読むのと「事実」として読むのとでどんなちがいが生ずるのかわからないが、孫の素直な心に直接読み聞かせたいと思った。

 ところでホフマンの描く主イエス・キリストはあくまでも人としてのイエスで等身大の人間であることにもものすごい感動を覚えた。そしてこの書の終わりが、エチオピアの宦官がピリポをとおして救われ、洗礼を受けるシーンで終わっている。(洗礼のシーンが滴礼なのはホフマンの信仰を反映しているのだろうか、よくわからないが・・・)松井さんは書いていた。「新約編に描かれるイエスの母マリアと、マグダラのマリアの絵を数えてみたことがあります。私にわかる限りでは、母の八回に迫る七回。マグダラのマリアがさらに興味深い人になりました。開く頻度の高い本です。」

 こんな素晴らしい本を先週末偶然手にしていたホフマンの作品に引き続いて、今週は本格的に知ることができて松井さんに感謝したい。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新約聖書 2テモテ3・16)

2009年4月15日 (水)

絵本「はるになったら」(シャーロット・ゾロトフ文 ガース・ウイリアムズ絵 おびかゆうこ訳から)

Dscn6736  昨日の東京新聞夕刊に松井るり子さんによって『うさぎさん てつだって ほしいの』(シャーロット・ゾロトウ文モーリス・センダック絵)という絵本が紹介してあった。早速、家族で取り出して読んでみる。おんなの子がおかあさんの誕生日のプレゼントをうさぎに手伝ってもらい見つけてゆく筋書きだが、これが中々素敵。私は何度か「だめだめ。おかあさん、とりは そとのきで うれしそうに うたってるのがすきなの。」と繰り返されるおんなの子のフレーズがすっかり気に入った。他にも作品があったので読んでみた。以下に紹介するのは『はるになったら』である。ことばが素敵である。その上、絵(写真)も素敵。絵本は心の宝庫にちがいない。

あるひ ちいさな おんなのこが ちいさな おとうとに いいました。

はるに なったら、おはなを たくさん つんできて、はなたばを 
つくってあげる。

ゆきが いっぱい つもったら、ゆきだるまを つくってあげる。

あめが ふったら、バケツに あまみずを とってくるわ。
いっしょに、おへやの はっぱに あげようね。

かぜが ふいたら、びんの なかに つかまえてきてあげる。
あつい ひに、おうちの なかで、すーっと にがすの。

うみに いったら、まきがいを ひろってくるわ。
なみの おとを きかせてあげる。

まちへ いったときの おみやげは、なーんだ?
あけてからの おたのしみよ!

えいがに いったら、うたを おぼえてくるね。
おうちで まねして うたってあげる。

ゆめに おばけが でてきたら、たすけに いくわ。
ひとふきで、やっつけてやる!

おたんじょうびパーティーに いったら、おみやげに 
ケーキを もらってくるね。 
ろうそくが たってる バースデーケーキよ!

あるきながら なに みてると おもう?
おそらのくもよ。くもって いろんな かたちを しているの。
あとで、なにに みえたか おしえてあげる。

ねむってるときは、いっぱい ゆめを みているの。
あさ、めが さめたら、どんな ゆめ みたか はなしてあげるね。

いつか、あたしが おかあさんに なったら、
あかちゃんを だっこさせてあげる。
こんなふうに!

私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じました・・・。(新約聖書 1コリント13・11)

2009年4月 7日 (火)

『天路歴程(バニヤン)』より

Dscn6701  (夢とは不思議なものである。私は金曜日の午前中の某クラスの授業を何週にもわたりうっかりして出かけず、そのままテストをする、こんなことは許されないと思いながら、もう一度時計の針の先を何とか戻してほしいと切に願う、その挙句苦しくなって目を覚ます、というそんな夢をこのところよく見る。すでに退職して丸4年が経過しているのに・・・余り精神衛生上よろしくない。連れ合いは過去の罪の告白が十分じゃないのとちがう、と言う。そうかも知れぬ。ところで以下の『天路歴程』中に紹介してある夢はその重荷が十字架により取り去られると書いてある、すばらしい夢である。受難週にちなんで写してみた。)

 さて、わたしは夢の中で、クリスチャンが進むべき街道は、両側とも垣になっているのを見たが、その垣は救いといった(イザヤ26・1)。この道を、クリスチャンは荷物を背にして走った。とはいえ、背負った重荷のために、非常な困難が伴わないわけではなかった。

 かれはこのように走って行って、やや上り坂になっている所に達したが、そこに十字架が立っており、少し下った所に墓穴があった。そこでわたしは夢の中で、クリスチャンが、ちょうど十字架の所まで来ると、ひもが弛み、重荷は肩を離れ、背中から落ちて、転がり始めるのを見た。そしてころころと転げて、ついに墓穴の口に達し、中へ落ちて、もうそれきり見えなくなってしまった。

 クリスチャンはうれしく、晴れやかに、うきうきした心で言った「主は御悲しみにより安息を賜い、その死によって命を賜うた」と。そこでしばらくじっとたたずんで、かつ眺め、かつ怪しんだ。というのは十字架を仰ぎ見ただけで、このように重荷がおりたということは、非常に驚くべきことに思われたからである。それで繰り返し繰り返し眺めているうち、ついにかれの目から涙が溢れ、頬を伝わってとめどなく流れ下った(ゼカリヤ12・10)

 さてかれが仰ぎ見、かつ涙にむせんで立っていると、これはなんと、三人の光り輝く者が、かれのもとに来て「安かれ」(ダニエル10・19)と挨拶した。それからそのひとりが「あなたの罪は赦された」(マルコ2・5)と言った。次の者は破れた服を脱がせ、着換えの衣を着せた(ゼカリヤ3・4)。また三人目の者は、かれの額にしるしをつけ(エペソ1・13)、封印をほどこした巻物を授け、走り行く時にこれを見、かつ天の門で差し出すようにと命じた。かくて、かれらは去って行った。そこでクリスチャンは喜びのあまり、三度小躍りして、こう歌いながら進んだ(神が心の喜びを与え給う時は、キリスト者はひとりでいても歌うことができる)

 ここまで罪の重荷を負って来たが、
 ここにたどりつくまでは、味わった深い悲しみを
 除くすべもなかった。ここは何という所だろう。
 わたしの幸はここに始まるべきなのだろうか。
 重荷はここでわたしの背から落ちるべきなのか。
 くくりつけられた紐はここで断ち切られるべきなのか。
 尊しや十字架、尊しや御墓、
 さらに尊きは、わがため恥を受け給いしその人。

(引用はバニヤン著作集Ⅱ高村新一訳山本書店版62~65頁、一方写真は新教出版社版85頁から拝借した。)

2009年4月 1日 (水)

中学生の弔辞

Dscn6566  先週の火曜と今週の火曜、吉祥寺の帰り途、国会図書館に立ち寄り、『ママ・・・ぼくがんなの』(杉本要吉著1967年毎日新聞社発行)を読むことができた。この本は、著者の最愛の一人息子である方が、突然骨肉腫の病に倒れ、発病後2年半ほどいのちを長らえることができたが、14歳(中学2年生)の若さで召されたことを記した「ある父親の愛と悲しみの記録」の本である。

 本を通して、いかにこの恵まれた体格の少年に病魔が襲ったか、また左腕を切断しながら卑屈にならずに病に懸命に立ち向かって行ったかが克明に描かれている。毎日新聞の論説委員である著者の筆を通して病魔に立ち向かう二人のお姉さんをはじめとするご家族、病院の医師、看護婦さんたち、学校の先生方、級友たちの愛情が伝わってくる。筆致は抑えられているが、このような前途ある若者をやたら死なしてたまるものかという医療体制の整備を求める救国の思いも伝わってくる良書であった。

 今日医療の問題は様々な点で問題があちらこちらで奔出している。約半世紀前に小児ガンに立ち向かっていったご家族の記録を原点として、もう一度読み直してみる必要があるのではなかろうか。著者の愛児に対する愛惜の思いに満ちた歌が8首ほど終章近くに紹介されており、大変感銘を受けた。著者の無念の思いが一首次の歌として終結しているところに大きな救いを感じた。

失いし腕のかわりに羽根をつけ天使の園に遊べわが子よ

 もっとくわしく内容をご紹介したいが、今回は敢えて同級生である杉山さんの弔辞の詩を載せさせていただいてこの良書の紹介に換えさせていただく。

杉本、君はなぜ死んだのか。
いったい誰が君を殺したのだ!
君のように優秀で無限の可能性を秘めた人間が
どうして死なねばならないんだ!
僕にはまだ信じられない。
これも運命なのか、「運命」の一言でしかかたづけられないのか。
僕は悲しい、こわい、むなしい、恐ろしい。
あーっ あーっ。
人間一度は必ず死ぬ。
しかし無限の可能性をひめたまま、誰に君を殺す権利があったのだ。

僕は君に「命」をもって体あたりされた。
僕はあまりにも平安の夢をむさぼりすぎていた。
その場しのぎの生活で、自分の「命」を大切にしなかった。
君が死との苦しい戦いをしているとき
僕は自分の好きなことをしかやらず適当に過す、という軽薄な毎日を送っていた。
「苦」から逃げて「楽」をしようとばかり考えていた。
僕は、君が死という根本的な「苦」と戦っているとき、
くだらないことをやり、小さな目で見、何事も自分本位に考えた。
そして僕は君の命に、人間の生き方を考えさせられた。
僕らは君の死をむだにはしない。
それが君への一番よいことばだと思う。
僕らは君の命をしっかりしっかりにぎって生きてゆく。
杉本見守りたまえ。

(この弔辞を読んだ方がその後どうしておられるか家に帰って来て調べたところ、この詩に誓われたとおり生きておられるように私には思え、新たな感動を覚えたことを付記しておく。また財団法人「がんの子供を守る会」が1968年には発足している。まことに「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」〔新約聖書 ヨハネ12・24〕だ。写真は昨日の国会図書館前の前庭〔彫刻作品はPAUSE〕。)

2009年2月23日 (月)

『日照りの時の緑の葉』の序言

Dscn6224  その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さがきても暑さを知らず、葉は緑で、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる(エレミヤ17・8〔英訳〕)

 神は、むだな苦しみを与えたり、気まぐれに訓練したりすることはなさいません。もし彼が耕されるとすれば、それは収穫を意図しておられるからです。本書(『日照りの時の緑の葉』のこと)は、このことの奥義を、私たちに解き明かし、収穫物のいくらかを、私たちに見せてくれます。

 ペテロは、「あなたがたをテストするためにあなたがたの間で猛威をふるっている迫害の激しい炎を見いだしても、驚いてはなりません」(1ペテロ4・12 ウェイマス訳)と勧告しており、「ヘブル人への手紙」の記者は、「それは、後になると、それによって訓練された者に、平安に満ちた実をもたらします」(ヘブル12・11 ウェイマス訳)と確言しています。それゆえ、人生は、明らかに神の学校における一連の試練であるべきです。彼が送られる、あるいは許容される試練は、実は、彼の信頼票なのです。なぜなら、彼は、私たちのたええないような試練に、私たちをあわせるようなことはなさらないからです。彼がアーサーとウィルダ※に許容された試練において、彼らは、彼のあわれみに満ちたご目的を見いだし、それらの試練を彼らの神に栄光を帰する機会に変えたのでした。

 神は、ヨブの信仰と正しさに、大きな信頼をおいておられました。そして、ご自身の信頼が正しいことを立証し、サタンを敗北させ、ヨブをきよめ、ヨブの友人たちを教えるために、サタンがヨブを極限までテストされることを許されたのでした。神は、これらのご自身のふたりの子どもを、中国において、同様の目的をもって―すなわち、他のすべての手段が尽きてしまった時、ご自身がご自身の民にとってどのようなかたであられるかを示すために、彼らの「緑」の「ひそかな根源」を明らかにするために、神の子どもたちを飢えさせることはできないということを見いだした彼らの敵をうろたえさせるために、彼ら自身の生活をすばらしく豊かな、洗練された、調和の取れたものとするために、そして、彼らの勝利を目撃した苦難の中にある中国人の信者たちを強めるために―テストされたのではないでしょうか。

 強く心に訴えてくるこの物語は、神の栄光のため、そして、神のみこころがどんなに不可解なものであっても、喜んでそれに従い、彼の訓練を受け入れる者に対して、彼がどのようなかたであられるかを示すために書かれたものです。

  ニュージランド、オークランドにて
                J・オズワルド・サンダース

(『日照りの時の緑の葉』イゾベル・クーン著 松代幸太郎訳1972年刊行より。※引用者注:C・I・Mの宣教師夫妻のこと)

(写真は昨日水戸の知人に案内されて見学した徳川御三家の水戸藩の「弘道館」の一角。一方譜代大名であった彦根藩でもかつて藩校を弘道館と称した時期があった。人材養成はいつの時代も急務であった。ところで上掲の短文を通して「日照りの時にも緑の葉をしたたらせる」ことが「神」の学校の教育であったことがわかる。)

2009年2月20日 (金)

『ブレイナードの日記』(O・J・スミス著1954年いのちのことば社刊行)

Dscn6200  ディビッド・ブレイナードは今から260年ほど前に、若干29歳で天に召された一アメリカ人である。彼についてはこの本を通してその詳細(彼の回心の次第、いかにして未踏のインディアン伝道に導かれたかなど)を読むことが出来るが、ここでは彼自身の手で書きしるすことのできた最後の数日の日記を以下に転写して内容の一部紹介としたい。なおこの本の冒頭にある文章は以下の如く彼の生涯を要約している。

 彼は祈祷の人であった、断食の人であった、また苦しみの人であった。彼はインディアンの上に御業が顕わされんために間段なく切実に祈ったのである。かく馬上にある時も、心は祈りの中に神に向けられていた。(写真の下に掲げてあった解説文である)

 1747年4月4日 土曜日
 心は沈み落胆す。極めて落ち着かず、苦痛を覚ゆ。断食と祈祷の時を持つことを切望するが、それらのことをなすための体力がない。ああ、心の平安を楽しむことはいかに幸いなることであろう! それに引き代え、内なる平安と魂の落ち着きに欠けていることはいかに恐ろしいことであろう!

 4月16日 木曜日
 朝方、罪咎の意識とともに、未だかつて感じたことのないように甚だしい魂の苦悩を覚える。終日悩みの中にある。いずこに行くも祈ろうと心がける、けだしかくなさざるを得ないからである。しかしみずからが余りにも汚れ果てた者に思われたので、誰の顔をもまともに見ようとしなかった。また誰かが私に敬意を表したり、あるいは少なくとも私が尊敬を受くべき者であるとの惑わされた考えを持ちはせぬかと思って心を痛める。

 4月17日 金曜日
 夕刻神は私を助けて恵みの御座近く引き寄せ給い、御恩寵を感ぜしめ給うた。力と慰めを受く。神はかかる罪人にも和らぎの御顔を向け給うことを思い、歓喜にむせばざるを得ない。
 主は我をして最も醜悪なる罪に陥らしめず、また醜聞の立つを許し給わなかったことを覚え、時に恥と混乱に覆われ、次いで希望と喜びおよび神の恵みに対する感歎の念に満たされる。何としても神を賛美せざるを得ない。

 4月20日 月曜日
 大なる不調にあり、一日の大半を床の中で過す。過ぎし幾日かよりは少しばかり平安の度が大きかった。今日私は二十九の年を迎えた。

 彼の病は今日で言ういわゆる「肺病」ではなかったのだろうか。この後召される10月9日まで彼自身の日記は途絶え、口述筆記に変わるが、このわずか5日間ほどの日記を通しても、彼がいかに主なる神様の前で謙虚で悔い崩おれた魂であるかを私たちはうかがいしることができる。テレビは連日のように某大臣の「もうろう会見」の醜聞を流すが、醜聞の立つのを許し給わなかったのは神様だとブレイナードは言う。そして次のように死の前日に人々に願望したことが語られている。

 彼は私(ジョナサン・エドワーズ)に、彼が胸部に覚えている疼痛の激しさは何人の想像も許さないほどであると語った。彼は極度の苦悩の中にあって、忍耐を失い、そのことにより神の御名を汚しはしないかと大いなる気遣いを示していた。・・・神が彼を支え忍耐を与え給うため、他の者が大いに励んで彼のために絶えずその心を神に向けることを彼は願望した。・・・

 インディアンの人々の救いのために大いに仕え、大いなる主の御業を拝した彼が死を前にしてもなお誠実に生きて天の御国に凱旋したことを畏れをもって受け留めたい。最後に彼のインディアン伝道そのものの象徴とも思われるみことばをかかげる。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(旧約聖書 ゼカリヤ12・10)

2009年1月24日 (土)

『愛はいずこに』から

Dscn5057_2  (キャサリンは若いころ、「神様は悪を止める力があるのに、なぜ世の中の苦しみを許しておられるのか」と、その不平をマック夫人にぶちまけた。そのとき、夫人は、一人息子であるケネスが10代で糖尿病のために死んだことに触れ、次のようにキャサリンに話してくれた。)

 「そうねえ、私もあなたのように考えたら、ケネスの死を許された神様を罵ったことでしょうね。神様は力がおありになる、止めて下さることができるのに、何故止めて下さらなかったのだろうか。」夫人の言葉は続いた。「今も、私にははっきりした答えはできません。でも神様の悪口は言えないのです。ケネスの長い病気の間、神様のやさしい愛のしるしは幾度も見ました。ケネスが自分でももう死ぬのではないかと思いはじめて、私に《お母さん、死ぬっていうのはどんなことなのでしょうか。苦しいんでしょうか》と尋ねたときのことでした。」

 夫人がケネスの言葉を繰り返すのを聞くだけで、私の目には涙が溢れてきた。「どう答えましたか。」私はやっと尋ねた。

 もう髪の白くなった婦人は、遠い過去を見つめている様子だった。「私はストーブに掛けてあるものを見に行くような風をして、急いで台所へ逃げて行きました。そして、台所の戸棚に寄りかかっていました。不思議にそのときの細かいこと、例えばすべすべした冷たい戸棚の面に指の節を押しつけた感触を今も覚えています。私はなんと答えたらよいか神様に尋ねました。

 「神様は本当に教えて下さいました。母というものが聞かれる一番難しいこの質問の答えを教えてくださるのは、神様だけだったでしょう。私には解りました―死というものをどう説明したらよいか解りました。私はこう言ったのを覚えています。《ケネス、あなたが小さかったとき、よく一日中遊んでいて、晩になると余り疲れて着物も脱げないことがありましたね―それでお母さんのベッドへ転がりこんで、そのまま眠ってしまいましたね。》

 「《でもそこはあなたのベッドじゃなかった。あなたの寝るところではなかった。それでしばらくそこにいるが朝になると―驚いたことに―、あなたは自分の部屋のベッドで目を覚まします。誰かが、あなたを愛していて、あなたの世話をしてくれたのです。お父さんが―強い腕で―あなたを運んで行ったのです。》

 「それで私はケネスに、死とはそのようなものだと話しました。ある朝目が覚めてみたら、別の部屋に移っている―自分のいるべき部屋に。それは、神様が私たちを人間のお父さんよりももっと愛していて、お父さんと同じようにやさしく世話をして下さるからなのだ、と。」

 私たちはしばらく黙っていた。夫人は静かに言った。

 「それから後、ケネスは死ぬのをこわがりませんでした。もし何かわけがあって―そのわけは今も私にはわかりませんけれど―ケネスが治らないのなら、こうして恐怖を取り去ってやることが、神様が私たちにお与えになることのできる次善の贈りものだったのでしょう。そしてケネスはついに、ちょうど神様が私に告げられたとおり、静かに安らかに次の世へ行きました。」

 そういう婦人の顔には、深い安らぎの様子が見えた。
 その晩マック夫人が私を寝かせてくれた後、私はマホガニーの寝台で、羽蒲団にくるまりながら、夫人の言葉を考え続けた。夫人が語ったことは、悲劇の中にいる人たちが、局外者には全く解らないある種の秘密を、しばしば知らされるということである。苦しみのさ中において与えられる神の愛―即座で、永続する、真の愛。贈り主が現われたもうて、どんな贈りものにも優る高価なあるものを与えられるのである。

(『愛はいずこに』C.マーシャル著堀田勝郎訳33~34頁)

しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。(旧約聖書 詩篇17・15)

(写真は往年の小学4年生が描いた「母」の絵。1950年代初頭の日本の田舎の台所の様子と「母」の労働の姿がわかる。この母は、ケネスの母のように子どもからそのような質問は受けなかったが、子どものためには命を与えた。古今東西、「女は弱し、されど母は強し」だ。)

2009年1月21日 (水)

キローンが救われた!

Dscn5948小説『クウォー ウァーディス』の中でキローンほど憎らしき人はいないのではないでしょうか。彼は恥知らずも何度も人々を裏切ったからです。もちろん、ウイニキデスとりギアも彼に貶められるのです。しかしその最たる相手は以下に出てくるキリスト者の医師グラウクスであります。この医師はそれまで自分を裏切り、妻や子までも奪ったキローンを許したのです。それにもかかわらず、ネロー皇帝のキリスト者迫害のお先棒を担ぎ、またしても彼を裏切り、とうとう今度は十字架にまでつけるのです。その十字架上からグラウクスは、なおも「許します・・・」と言います。その類まれな愛を知ってキローンは初めて自分の罪を心の底から苦しみ、悔い改め、勇気を出してネロー皇帝がローマ火災の張本人であると言い真実を明かします。しかしその孤独と絶望は癒えることはありませんでした。絶望の淵にいるキローンにパウロが近づきます・・・)

 「私たちの神は愛の神です」と繰り返して使徒は言った。「もしあなたが海辺に立って小石を投げたとしても、海の深みを埋めることができますか。クリストゥスの恵みは海のようなものです。人間の罪や咎は、小石のようにその深みに沈みます。また愛は山や陸や海を覆っている大空のようです。それは何処にもあり、限りも終わりもありません。あなたはグラウクスの柱のところで苦しみました。クリストゥスはあなたの苦しみをご覧になりました。あなたは明日自分の身に何事がふりかかるかも構わずに『これは火つけ者だ』と叫びました。クリストゥスはあなたの言葉を御心に留めました。あなたの悪も偽りも過ぎ去りました。あなたの心の中には尽きぬ悔恨だけが残ったのです。・・・私と一緒においでなさい。そして私の話すことをお聞きなさい。この私もまたクリストゥスを憎み、そのクリストゥスを選ばれた人たちを迫害しました。私はクリストゥスが現われて、お召しになるまでクリストゥスを望まず、クリストゥスを信じませんでした。私にクリストゥスが現われたその時からクリストゥスは私の愛です。今クリストゥスがあなたに心配事と恐怖と苦痛をお授けになっているのは、ご自分の方にお呼びになりたいからです。あなたがクリストゥスを憎んでいた時も、クリストゥスはあなたを愛していました。あなたはクリストゥスの下僕(しもべ)たちを責苦に委ねましたが、クリストゥスはあなたを許し、あなたを救おうとしておいでです」

 このみじめな男の胸は激しい慟哭に震えはじめ、魂は底まで引き裂かれた。パウロは彼を強く抱き、その心を奪い、ちょうど兵士が捕虜を引いて行くように連れて行った。

 しばらくするとパウロは言った。

「私に随いておいでなさい。私はあなたをクリストゥスの御許にお連れしましょう。他に何の理由であなたのところへ来るでしょうか。クリストゥスは愛の名において、人々の魂を集めるように命ぜられました。私はただクリストゥスの務めを果たすにすぎません。あなたは呪われていると考えますが、私はあなたに申しました『クリストゥスを信じなさい。救いはあなたを待っています』と。あなたは呪われていると考えますが、私はクリストゥスがあなたを愛しておいでになると繰り返して申します。私をご覧なさい。私がクリストゥスを心に抱かなかった頃は、この心に住むものは悪意のほか何もありませんでした。しかし今はクリストゥスの愛は父母の愛や富や王位に代えてもなお余りあります。クリストゥスの中にだけ逃げ場があります。クリストゥスだけがあなたの悲しみを数えます。あなたの心の貧しさを除きます。あなたから恐怖を取り去り、あなたをご自身のもとに引き上げます」

 そう語らいながら、遥か上で月の光を受けて銀色に光る噴水の方へ彼を連れて行った。あたりは静かで人影もなかった。奴隷がもう炭となった柱や殉教者の死体を片づけてしまったからである。

 キローンは呻きとともに跪き、手で顔を隠して身動きもしなかった。パウロは星空の方に顔を挙げて祈りはじめた。

「主よ、このみじめな者をご覧下さい。彼の悲しみと涙と悩みと苦しみをご覧下さい。われわれの罪のために血を流し給うた愛なる主よ。あなたの痛みを通し、あなたの死と復活を通して、この者をお許し下さい」

 それから彼は黙った。しかしまだ長いこと星空を眺め、祈っていた。
 やがて彼の足下から呻くような叫び声がした。
「クリストゥス・・・クリストゥス・・・私を許して下さい・・・」
 そのときパウロは噴水に近づき、掌に水を掬い、跪いている哀れな者の所にところに帰ってきた。

「キローンよ!ここに父と子と聖霊の御名においてあなたを洗います、アメン!」

(『クウォー ウァーディス』平凡社版714~716頁から引用)

 (そして、このキローンもネロー皇帝の罪を暴いたゆえに、円形闘技場で十字架にかけられて亡くなってゆきます。その最後の場面は以下のものです。)

 闘技場係りは声をからして熊を嗾(けしか)けたが、群衆は沈黙をつづけた。キローンは静かに頭をあげて、しばらく観衆を見回していた。最後に彼の視線は円形闘技場の最上段の一点に止まると、その胸は生き生きとはずみはじめた。そのとき群衆を驚かせることが起こった。彼の顔は微笑で明るくなり額には光の輪が輝くように見えた。眼は死ぬ前に高く挙げられ、やがて瞼の下に集まった大きな二粒の涙がゆるやかに頬を伝わった。
 そして死んだ。
 丁度そのとき、上段の日除けの下から、よく響く男の声がした。
 「殉教者たちに平安あれ」
 円形闘技場を虚ろな沈黙が覆っていた。

『クウォー ウァーディス』平凡社版724頁より引用)

(迫害者であったキローンも、このようにキリストのものとされ、悠揚と死に臨む殉教者の群れに加えられたのであります。これは果たして人間業のよくするところでありましょうか。)

もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる(新約聖書 ローマ10・9)

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます(新約聖書 2コリント7・10)

(写真は彦根市芹川河口付近から琵琶湖・多景島を遠望する〔09.1.16〕。対岸は湖西・安曇川地方である。琵琶湖の平均水深は40mほどと言うことだ。)

2009年1月20日 (火)

『クウォー ウァーディス』 シェンキェーウィチ著 梅田良忠訳(平凡社1959年刊行)

Dscf0286061126  標題の本を先日立川の古書展で見つけた。すでにこの本は岩波が河野與一訳や1995年には木村彰一の新訳を出しており、何度か読破に挑戦したが、途中で挫折した曰くつきの本である。(ちなみに岩波は『クォ ヴァディス』シェンキェヴィチ著である)すでに河野與一訳を手元に持っているので、余計な気もしたが安価でもあり購入することにした。理由の一つはこのシリーズはちょうど50年前に平凡社が世界名作全集50巻として刊行したものの一つであり、その装丁を記憶していて懐かしさを覚えたことである。あともう一つの理由はこの本には見開き二枚の地図が添付してあったからである。一枚は「ネロー皇帝時代のローマ帝国とその北辺」であり、あと一枚は「帝政ローマ市街地図」である。

 果たせるかなこの地図のおかげで総ページ数802頁を今回完読出来た。(15日から17日の帰省時に使った青春18切符の行き帰りを利用してであるが・・・)改めてこの本のスケールの大きさに魅了された。漱石『三四郎』が描く三四郎と美禰子の間のほのかな恋のかけひきについては前回触れたとおり緒戦の段階で幕となっているが、この本ではウィニキウスとリギアがそれに相当し、はるかに徹底的である。そして王女でありながらローマ帝国の被征服民族として引き取られているリギアは養母ポンポニアの影響を受け秘かに主イエスを信じている女性である。その彼女に生粋のローマ人、しかも帝国の枢要な地位(護民官)にあるウィニキウスが恋するのである。

 物語りはこの両者がいかにして結ばれるか、筆致を尽くして述べられて行く。聖書には「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」(2コリント6・14)とあるが正しくそれを地で行く物語である。様々な両者の苦闘・苦悩はあるが、ウィニキウスが最終的には砕かれて完全に主イエス様のものとなる。この間、ネロー皇帝の恣意的な専制政治はまわりの追従を得てとどまることを知らず、自らの悦楽のために命令でローマ市を灰燼に帰することをしながら、その罪をキリスト者に負わせ、次々と円形闘技場に引き出し猛獣の餌食と化して行く。この描写が延々と続く。

 もちろんそのような中で何千何百というキリスト者は殉教の死を遂げるのだが、すべての信者が悠揚として死に向かってゆくのは驚異的である。そこにはこの世しか眼中にない人々と異なり、主に見(まみ)えることの喜びが暗い中にも一条の光となって全篇を覆う希望の光となっている。この件(くだり)は畏敬の念さえ抱かせる描写である。

 しかし今回読んで見て、もっとも感動したのは脇役とも言えるキローンの救いである。彼はことごとく巧妙に立ち回り、キリスト者を何度も裏切り、ネロー皇帝の信任を得るまで立ち回るが、ついに自己の生き方に全面的に絶望する時がやって来る。そこにタルソのパウロが自分もまた主イエスを迫害した、あなたと何ら変るところはないと述べるのである。この件は涙なしに読めなかった。忙しい読者は第三巻の第十九章がその箇所であるからそこだけでも読んで見られてはいかがであろうか。

 終章近くペテロもパウロもネロー皇帝の迫害下殉教死する。ペテロはその直前一旦はローマ(荒れ狂った圧政の中で全滅させられたかに見えるキリスト者の少なくなった)をあとにしてアッピアからカンパーニアの原へと向かおうとする。しかしその時次のようなシーンが記される。

 そこでペテロは立ち止まって言った。
 「われわれの方に近づいてくるあの明るいものが見えるか」
 「何も見えません」とナザリーウスは答えた。
 しかしペテロはしばらくして、片手を眼にあてて言った。
 「太陽の輝きの中を、何かの姿がわれわれの方にやってくる」
 (中略)
 ペテロの手から旅の杖が地に落ち、眼は前方をまばたきもせず見詰め、口は開いたままで、顔には驚きと喜びと感激の色が現われた。
 突然地に跪き前に両手をさし伸ばし、彼の口からは叫び声がほとばしった。

 「クリストゥス・・・クリストゥス」

 そして地に顔を伏せ誰かの足に接吻するように見えた。
 長い間沈黙がつづいた。静寂の中で咽び泣きに途切れがちな老人の言葉が聞こえた。

「クウォー ウァーディス、ドミネ・・・」(主よ何処へ行き給う)

 ナザリーウスはその答えを聞かなかったが、ペテロの耳には悲しい甘い声が響き、それはこのように聞こえた。
「お前が私の民を置いて去るならば、私は再び十字架にかけられるためにローマに行くであろう」
 使徒は埃の中に顔を埋めて、身動きもせず無言のまま地に伏していた。ナザリーヌスは、もう使徒は気絶したのか、または死なれたのかと思った。しかし彼はついに起き上がり震える手に旅の杖を取り上げ、何も言わず都の七丘の方に向かって踝(くびす)を返した。
 少年はそれを見て谺(こだま)のように繰り返した。
「クウォー ウァーディス、ドミネ・・・」
「ローマへ」―と低く使徒は答えた。
そして戻って行った。
(同書第三巻第二十七章765~766頁より抜粋引用)

 結局この物語りはネロー皇帝の空しい栄華を描き、対照的に多くの殉教者の死に至るまでの生き方を描写する。そして全く不可能に見えたウィニキウスとリギアが生き延び、結ばれシキリアに余生を送ることが暗示され(実はその蔭には使徒ペテロの祈りがあったと小説は語る)、善人ではあるがその帝国の体現者でもありウィキニウスの良き理解者で伯父でもあったペトローニウスが死に、さしもの権勢を誇ったネロー皇帝が死ぬことで幕を閉じる。

 1905年のノーベル文学賞をもらったこの小説には背後にポーランドの悲哀が描かれていると言うが、私は無知識で今回そこまでは読み取れなかった。一緒に挟んであった瀬沼氏の解説によるとわが国にいち早くこの小説を英訳で持ち込んだのが内村鑑三であるということだ。ますますもってキリスト者には興味の尽きない小説ではある。

シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」(新約聖書 ヨハネ13・36)

(写真は南フランス・アルルの円形闘技場〔06.11.26〕の一角。『クウォー ウァーディス』を読みこのようなローマにある円形闘技場で行なわれたことを思い出し、3年前観光で訪れたときには感ずることの出来なかった痛みを初めて覚えた。)

2009年1月14日 (水)

『三四郎』 夏目漱石(ワイド版岩波文庫)

Dscn5872  今更、この齢になって「三四郎」でもあるまい、と言われればそれまでである。過日、東京から18切符で西下する際、ほぼ読み終えた。しかもこの本、冒頭から汽車に乗る三四郎が九州から東京に向かって上京するところから始まるから、私には奇妙な一致感があった。

 汽車の乗り合い客との交流がいついつまでも三四郎を支配して行くのも小説ならではの構成だが、現実にも汽車が電車になろうとも、電車という空間は百年経ってもそんなに内実は変わっていないと思う。そういう意味ではこの小説は100年前のものとは思えないで、私たちの魂の内実に迫って鋭い展開を見せる小説である。

 ひやっとするような車中での女との出会い、しかも泊を共にするというめぐり合わせ、一体この先どうなるのかと読者を引っぱってゆくこと請け合いである。序盤でひそやかとも言える三四郎の願いが次のように述べられている。

 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較して見た。次にこの三つの世界を掻き混ぜて、その中から一つの結果を得た。―要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問に委ねるに越した事はない。(85頁)

 テーマは全部出揃う。青年の目の前には、田舎・伝統があり、学問・自由があり、都会・この世の栄華があると言えよう。このような中で学問の世界にいて栄位栄達を求めない広田先生や野々宮さん(寺田寅彦がモデルでないかと言われている)の存在にひかれ、一方で新しい女とも言うべき美禰子との恋道に進もうとする。しかしそれは実らない。

 それは美禰子の遊びにもてあそばされた気配が濃厚であるからである。その美禰子に漱石は「stray sheep」となぞめいた言葉を語らせる。しかも思わせぶりに美禰子の独白として次のようなことばが別れに語られる。

 女はややしばらく三四郎を眺めた後、聞兼るほどの嘆息をかすかに漏らした。やがて細い手を濃い眉の上に加えていった。
 「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」
 聞き取れない位な声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして分かれた。下宿へ帰ったら母からの電報が来ていた。・・・(290頁)

 今日、若者は結婚どころか派遣労働の切捨てで、食うにも困る方がたくさんいらっしゃる時、このような三四郎の世界は高等遊民の世界と言われても仕方があるまい。けれども近代がどのように日本社会に新しいモラルを求めるものであるかを漱石が100年前に新聞小説で語ろうとしたことは忘れてはならないのでないだろうか。

 最後に漱石が美禰子に語らせた聖書の現代訳を載せておく。苦悩せる漱石は自分をふくめて人間の内面に潜められている罪の現実に敏感な人であったことは確かでないか。日本の誇る永遠の青春小説にはちがいあるまい。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。(旧約聖書 詩篇51・3)

(写真は先日の中山道高宮宿の街道風景。湖国は今日も雪に降られたるかな。)

2008年12月 8日 (月)

『絵日記 少女の日米開戦』(西川久子著 草思社 1992年刊行)

Dscn5626  今日は12月8日である。日本経済新聞には、42面で日米交渉にあたった野村元駐米大使の陛下への言上書が載っていた。真珠湾奇襲攻撃はアメリカ側の弁解に過ぎないという内容の紹介だ。すでに67年経過しているできごとだが、開戦当時秘密にされていたことも後に明らかになることが多い。戦争は国家間の争闘であるからして当然であろう。自国に不利なことも明らかにしてこそ正しい歴史認識が持てる。

 『絵日記少女の日米開戦』は著者が小学3年生の時、学校の先生に提出するために書き留められたものを50年後の1991年に偶然発見して、解説を加えたものである。期間は12月8日から3月27日まで一日も休みなく書き継がれている。最初の日だけが2頁で次のように書かれている。

 「いよいよアメリカ、イギリスとの大きな大せんそうがはじまりました。こんどのせんそうは、じへん(事変)とちがって、せいせいどうどうとやらなければならない。そしてどうしてもかたなければならないのです。みなさんもいっしょうけんめいやらなければなりません」と校長先生のお話。それから氏神様へお参りしました。(中略)晩になると、黒いカーテンをはって、門とうをけし、奥村氏のお話をかない(家内)そろってききました。

 絵には氏神様にお参りしている様子が描かれ、「私たちはすなおに正しい強い国民になります」と書きこまれている、次の頁には家に帰り夜ラジオの前にお父さんお母さんお姉さん著者が正座して神妙に話を聞いている様が描かれている。

 著者はこの開戦の日を振り返り、子ども心にいかに緊張を要した日かを思い出す。そして開戦の日にすでに暗闇が始まっていたことに驚き、3年8ヶ月ほどの空しい戦争の結果無条件降伏した日の明るさを、「かさの下の裸電球をぽつんと一つつけるだけだったが、それでも私たちの心には、あかあかと輝いて見えた。それは平和の象徴だったのだろう。」と書いておられる。(敗戦後、アメリカ軍の占領下において、全国に先駆けて京都で実施された新制高校誕生の歴史的場面に遭遇されるが、そこで体験されることになる底抜けの明るさにつながるものであろう。)

 絵日記の書かれた時期は緒戦とも言える四ヵ月弱で日本が戦果をあげていた時期だ。そのころの絵(シンガポール陥落の日)にはおかっぱ姿の著者が「見ヨ東海空明ケテ キョク日高ク カガヤケバー」と歌っている様が描かれている。このことを著者は次のように解説している。

 とにかく、開戦から数ヶ月のあいだに、日本軍は信じられない勢いで連合軍の陣地を撃破し、占領していった。(中略)それにしても日本のやり方はなんという無謀さだろう。(中略)人間らしい心をもつ兵士たちは、どんなつらい思いをしたことだろう。だれでも人びとの笑顔を見るのはうれしいが、人々を痛めつけ、殺すことは、殺される以上につらいことにちがいない。

 しかし、これは50年後の著者の感想であって、当時純粋で優等生でもあった少女は、何も知らず先生の言われるとおり、「昭南島、昭和の日本がどんどん南へ進む!」「兵隊さん、ごくろうさまでした」と書きこんでいた。そのような人間認識の危うさ、学校教育の大切さを著者は1991年の時点で訴えたくこの著書を物されたのではなかろうか。

 著者にはこの他、児童書『ロバートがやって来た』や先述した「朱雀高校」の誕生について編著として関わられた秀作や近作『「むすんでひらいて」とジャン・ジャック・ルソー』などがある。もともとフランス文学専攻の方であるが平和への飽くなき追求を持ち続けて来られた。いずれも同様な問題意識で貫かれている。この本のあとがきに書いてあることばを紹介しておく。

 教育の力は、どんな方向へでも子どもたちを導いていけるもので、私たちはみんな同じような軍国少女に育っていった。当時は、世界をめぐる衛星放送どころか、ただひとつのラジオからひたすら大本営発表を聞くだけだった。そこから流れてくる力強い言葉が、魔力をもって私たちを引っぱっていったのだ。原爆の日や敗戦の日以上に、開戦の日を忘れてはならないと思う。

 私もその通りだと思う。そして私たちは今の平和であるはずの日本で余りにも無惨に人の命が同じ市民の手によって奪われてゆく厳しい現実に直面させられている。これもまた戦争ではないか。戦争を行なう国家の罪は結局のところ、人を憎む個人の心から始まるのでないか。12月8日が12月25日のクリスマスの本当の意味を知ることとつながれば、どんなにすばらしいことだろうか、と思う。

神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださった・・・(新約聖書 コロサイ1・19~20)

(写真は昨日の彦根長曽根から見た穏やかな琵琶湖、対岸は湖西地方の比良山系)

2008年12月 6日 (土)

絵本をご一緒に読んでみませんか?(2)

Dscn5595_2  (アンナはオーバーが小さくなってしまい、新しいオーバーが必要でした。でも戦争が終わったばかりで、オーバーどころか食べ物もない時でした。このアンナのお父さんは戦死したのでしょうか。お母さんは何とかアンナにオーバーを着せてやりたいので次々持ち物を手離し、自分でできるところはやりながら最終的にオーバーは出来上がります。出来上がったオーバーはどんなふうにして作られていったのでしょうか。冬の始まりから、春、夏と季節は過ぎて行きます。幼いアンナにとっては、どんなに忍耐が要ったことでしょうか・・・・)

 「アンナ、オーバーはどんな色がいい?」
 「赤いの!」
 「それじゃあ、コケモモをつみましょう。きれいな赤にそまるわよ」
  夏のおわりに、森でコケモモがたわわにみのる。お母さんはその場所を知っていた。

 アンナとお母さんは、大なべにお湯をわかして、コケモモをにこんだ。お湯は、まっ赤になった。お母さんは、大なべに毛糸をひたした。

 やがて、毛糸が赤くそまると、台所にはりわたしたひもにかけて、かわかした。かわいた毛糸をふたりでまいて、毛糸だまにした。

 ふたりは、はたやさんのところへいくと、ガーネットのネックレスとひきかえに、毛糸で布地をおってくれるよう、たのんだ。
 「まあ、きれいなネックレス。よろこんでおらしてもらいましょう。二週間したらきてください」
 二週間たって、はたやさんはきれいな赤い布地をくれた。お母さんはきらきらひかるガーネットのネックレスを、はたやさんにわたした。

 つぎは、したてやさん。お母さんはティーポットとひきかえに、オーバーをぬってくれるよう、たのんだ。
 「これはきれいなティーポットだ。よろこんでしたてますよ。でも、まず、すんぽうをはからなければね」
 かたはば、うでの長さ、うしろむきのくびからひざまでの長さ。つぎつぎにはかって、
 「来週いらしてください。おわたしできます」

 したてやさんは、まず、かた紙をつくり、布を裁って、マチバリをうち、ミシンをかけたり、ふちかざりをしたり、はさみでチョキンときったりして、一週間、はたらきづめにはたらいた。さいごのしあげにオーバーにぴったりの六つのかわいいボタンをぬいつけた。
 したてやさんは、できばえにまんぞくして、オーバーをウインドウにかざった。みんなが見られるようにね。

 一週間のおわりに、アンナとお母さんがやってきて、アンナはあたらしいオーバーを、はおってみた。かがみのまえで、くるりとまわる。
オーバーは、ほんとうにすてきだ!
 アンナは、したてやさんにおれいをいった。お母さんもおれいをいって、きれいなティーポットをわたした。

 うちに帰るとお母さんが
 「もうすぐクリスマスね。ことしはちょっとしたおいわいが、できると思うのよ」
 「ほんと、ねえ、あたしのオーバーをつくってくれた人たちをみんな、およびしない?」
 「そうしましょう。それから、まえのように、クリスマスケーキをつくりましょうね」
 アンナはお母さんにだきついた。

 クリスマスイブには、おひゃくしょうさん、糸つむぎのおばあさん、はたやさん、したてやさん、のこらずアンナの家にやってきた。みんな、あたらしいオーバーをきたアンナは、ほんとにかわいいと思った。クリスマスケーキも、おいしかったし、こんなすてきなクリスマスは、まったくひさしぶりだといいあった。

 クリスマスの日、アンナは羊にあいにいった。
 「毛糸をありがとう。あたしのあたらしいオーバー、きにいった?」
 羊たちは、にっこりしたようだった。
 「メエエエ! メエエエ!」って、こたえながらね。

(『アンナの赤いオーバー』評論社1991年刊行より転写)

あなたがたが・・・むなしい生き方から贖い出されたのは、・・・傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。キリストは、・・・この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。(新約聖書 1ペテロ1・18~20)
耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受ける・・・(新約聖書 ヤコブ1・12)

(この素晴らしい絵本を通して私は忍耐の大切さを学ばされました。でも、キリスト者として折角のクリスマスにおいてイエス様のご誕生への感謝・賛美が描かれていないことがちょっぴり残念に思いました。でもこの話のモデルになったお母さんが「ハンナ」であることはキリスト者なら誰でも意に留める名前ではないでしょうか。)

2008年12月 5日 (金)

絵本をご一緒に読んでみませんか?(1)

Dscn5599  今週、西荻の古本屋で絵本を手にした。電車の中で、思わず読んでしまった。戦後、物のない時代、母がせっせと着物を持ち出してはお金や物に変えていたことを思い出した。くりかえしくりかえし、読んでみたい、また子どもたちに読み聞かせたい絵本だと思った。絵も素晴らしい。

 絵本の作者の献呈のことばは次のようになっている。

 何ヶ月も新しいオーバーができるのを待ちつづけ、そして、そのオーバーを約25年後に私に見せてくれたインゲボルク・シュラフト・ホフマン博士と今は亡き彼女の母親―最初は自分の決意とねばり強さ以外は何もなかったにもかかわらず結局はすばらしい贈り物を形にした―ハンナ・シュラフトにこの本を捧げる

 『アンナの赤いオーバー』

 ハリエット・ジィーフェルト ぶん アニタ・ローベル え 松田真弓 やく

 「戦争がおわったら、あたらしいオーバー買ってあげようね」
 去年の冬、お母さんがいった。アンナの古いオーバーはすりきれてしまったし、もう小さくなっていたから。
 でも、戦争がおわっても、お店はからっぽだ。オーバーもなければ、食べ物だってない。それに、お金をもっている人もいなかった。

 お母さんは、どうしたらいいか考えた。うちにはお金がない。でも、おじいさんの金時計とか、すてきな物がいろいろあるし、きっとそれでオーバーの材料が手に入る。まず、いるのが羊毛。
 「あした、おひゃくしょうさんのところにいって、たのんでみましょう」

 お母さんは、おひゃくしょうさんに羊の毛と金時計をとりかえてくれないかとたのんだ。
 「そりゃ、いい考えだ! でも、春になって羊の冬毛をかるまで、まってもらわなくちゃ」

 アンナは、春になるのをまった。日曜日はたいてい、お母さんと羊にあいにいった。「ねぇ、毛、のびた?」 羊は「メエエエ!」
 それからアンナは羊をなでて、おいしいほし草をやる。クリスマスには、紙のネックレスとリンゴをもっていった。そして、クリスマスキャロルをうたってきかせた。

 春になって、おひゃくしょうは羊の毛をかった。
 「羊、いたくない?」
 「いいや、かみの毛をきるのと同じことさ」
それから、羊の毛のとかし方もおしえてくれた。
 「かみの毛がからまったのを、ほぐすときみたいにすればいいんだよ」
おひゃくしょうは、お母さんに羊毛の入った大きなふくろをくれて、お母さんは、おひゃくしょうに金時計をわたした。

 お母さんは、糸つむぎのおばあさんに、ランプとひきかえに、羊毛をつむいでくれるよう、たのんだ。
 「ランプだって。ちょうどほしかったとこだ。でも、わたしゃ、はやくつむげない。サクランボがじゅくすころ、おいで、つむいどくよ」
 夏になって、羊毛は毛糸につむがれた。お母さんはランプをわたし、おばあさんは毛糸をくれた―それから、バスケットいっぱいのまっ赤にうれたサクランボもね。

 (つづきはあしたにまわします)

ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。(旧約聖書 1サムエル1・26)彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧を運んで来る。・・・麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。(旧約聖書 箴言31・13~14、30~31)

(写真は絵本の表紙。アニタ・ローベルはアーノルド・ローベルの奥さん。ポーランド生まれ、第二次大戦中、ナチスの手を逃れ、各地を転々とし、戦後、アメリカへ移住。)

2008年10月12日 (日)

『バッハの思い出』(アンナ・マグダレーナ・バッハ著 山下肇訳 ※ダヴィッド社1969年版)

Dscn5067  ノーベル賞受賞で湧く10月9日の新聞記事の片隅に訳者山下肇氏の訃報記事があった。生前における日本戦没学生記念会(わだつみ会)での中心的な氏の役割が載っていた。この本はその同氏が1950年(昭和25年)30歳の時にバッハ死後二百年記念として訳され、世に問われたものである。

 二、三日前には絵のことを考えた。しかし、この本を読むと、文章の力、音楽の素晴らしさというものを教えられる。出版からさらに五十八年経過しすでにバッハ没後二百五十八年になるというのに、妻アンナ・マグダレーナ・バッハの筆は私たちを一挙に楽長バッハ家族の暖炉へと招待し、バッハその人の肉声を数多く聞かせてくれる。

 併せて訳業の素晴らしさを思う。十八世紀のドイツ語を、正しく香り高い日本語に置き換えて、敗戦で心疲れ切っていた日本人にこの本はどれだけ希望の光となったことであろうか。最終章近く、バッハがフリードリッヒ大王の面前でオルガンを奏し、熱狂的な賛辞を受け、さらにその希望により遁走曲(フーガ)を献上するに当たっての言葉が記録されている。それはまさしく明治時代に天皇陛下に臣下が奏上する文体そのものだ。

 戦没学生の手記を中心になって編纂したこの「駒場」の星であった山下肇氏が、あえてそのような訳し方をしたのは、戦前に八紘一宇へと突入していった天皇制国家を等閑視したのではないだろう。そうではなく、そこにはフルートを自ら奏し、楽長バッハと共に音楽を理解するフリードリッヒ大王との人間的な結びつきを思ってのことではなかったのでないだろうか。

 もとよりそれは原文そのものが持つ味わいであろう。このバッハにとっては第二の妻であり、先妻との間にもうけられた三人の子をわが子同様に育てあげ、新たに自分たちの間では十三人の子を授かり、挙句の果て次々と七人の子を失わなければならなかった著者の喜びと悲しみはバッハの父性愛と共に時を超えて迫ってくるからだ。このような育児、家事、楽長としてのバッハを支える働き、様々な労苦を経験したであろうはずなのに、そこに何の不満もない。ただ自分を愛して音楽に身を捧げた夫に対する尊敬の思いに満ちている。

 著者がはじめてバッハとめぐり合う日の出来事は何度読んでも感動する。それはハンブルクを父親と旅行中、たまたま聖カタリーナ教会のパイプオルガンを見たさに堂内にたった一人で身を滑らせたときのことだ。天上から流れ下る音楽の圧倒する洪水の中に、聞き入る若き乙女が練習を終えて階段から降りて来たバッハと一瞬出会うのである。この甘美ともいうべき男女の出会い、不可思議な摂理は彼らが結婚してからも色あせなかったものだ。

 バッハの楽長(カントル)としての生活は公職においても家庭にあっても「秩序」「義務」が第一であった。楽長は校長、教頭の次で、ラテン語教授とともに学校の四首長の一人である。そしてその「秩序」はひたすら天国への旅立ちに基づくものであった。作曲の初めには、「キリストの名において」が記され、終わりには「神を頌えまつりて記す」と書かれていたということだ。だから最晩年のライプチッヒ楽長時代、聖歌隊編成他について無理解な校長との軋轢があったりして、怒りを爆発させなければならなかったが、それだけ「音楽」への思いはより一層深まっていった。一文引用する。

 「ほんとうの音楽を、われわれはただ、おしはかるだけなのだ」とはおりにふれてよく彼の申した言葉でございます。・・・おそらく彼は、他のいかなる無常の人間たちよりも、その泉のほとり、根源の近くに、位置しておりました。誰しもあの「主に向かいて新しき歌をうたえ」というモテットの如きを思い起こすならば、きっと躊躇なくこのわたくしに同意してくださることでしょう。・・・(同書189頁)

 バッハの終焉の姿は、彼ら夫妻にまことにふさわしいものであった。この時彼は永年の音楽活動、譜面を読み取る、書き上げるなどの生活の結果、目を酷使し、もはや目は見えなくされていた。終焉の様子を描くアンナの文章を是非ご自身でお読みになる事をお勧めする。

 この本の初版には小林秀雄の紹介文が月報に記されていた。「彼女はバッハを見るより先に彼の音楽を聞いた。彼の人間を信ずる前に、すでに彼の音楽を信じていた。恋愛とは結婚であり、相手を信頼し、自ら責任を感ずる幸福に他ならなかった。そういう簡潔で充実した恋愛が失われてしまってから既に久しい。近代文学は、人間性の名の下に恋愛について感傷と短気と獣性より他に書いた事はないのである。」とこの作品を積極的に評価し、返す刀で近代文学そのもののあり方に及ぶ極めて手厳しい意見を表している。

 敗戦後安易な平和論に流される中で、このような訳書が送られたことを思う。山下肇氏の終焉がどのようであったか詳細はわからない。しかし、このようなバッハ夫妻のありのままの姿を誕生から終焉へと描き、一本の強い導きの糸である主イエス様への信仰と永世への希望を明らかに示したことは、彼の「わだつみ会」の仕事とともに私たちは忘れてならないのではないだろうか。

※この本は新本としては版元が変り現在講談社の学術文庫に収められている。気をつけていれば古本でもダヴィッド社のものが割合簡単に手に入ると思う。

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」(新約聖書 黙示5・12)

 

 

2008年10月 8日 (水)

『父母とわれら』(植村環著 新教新書 1979年 第2版増補版 新教出版社発行)

Dscn5021  「植村環」と言っても、もはやその名前を覚えている人も少なくなっていることだろう。私が、この人の名前を知ったのは、湯川秀樹とともに世界平和アピール七人委員会の呼びかけ人になっている一人としてであった。年表を調べてみると、そもそもこの活動が始まったのは1955年で、私の小学校6年ぐらいのことだ。

 そのような方の本をなぜ今読むことになったか。今年の春、古本でほとんど打ち捨てられていた状態のものを拾い上げた。家内も私も植村正久という環さんのお父さんに当たる牧師・伝道者のことはうすうす知っていた。私が『十字架』という植村正久の説教パンフレット(88頁)を昨年末読んだことがあったからである。

 しかし最初に標題の本を読んだのは家内の方であった。読了後、感に入った感想を漏らしていた。それから数ヵ月、春が過ぎ、夏も過ぎ、秋風が吹く季節になり、私自身がこのところ気になっている「家族」の問題を考えようとしてこの本の存在を思い出したのである。

 たまたま土曜・日曜と三男夫妻家族と杉並の和田掘公園に行ったり、春日部で一泊させたりして行を共にした。家族はどうあるべきか、自分たちの無我夢中であった家族形成の一つの実であり、今まさに具体的なしつけの点で悩みながら子育て真っ最中の三男家族と接し、改めて考えざるを得なかった。そのような中でこの本の示す家庭は私にとって大きな希望を与えてくれた。

 環さんは夫、妹、長男、父、母の順に数年のうち(彼女の30そこそこから40歳に至るまでの期間)に相次いでなくしてしまう。過去経済的には牧師家庭の中にあって決して裕福でなく、また若くしてこのような親しい五人の方の死を見取らねばならなかった人の身の上を、一般の人は何と見るであろうか。彼女に涙、悲しみが無かったわけではない。しかし彼女は主イエス・キリストの恵みのうちに人々を送り出したのであった。

 それは父親である正久の教育の賜物であった。彼女が主治医の医学者との対談で述べていることは重要である。このとき彼女は88歳であった。

 私の父が、私の小さい時に”環さんは生きているか?”ってききますから”生きています”っていうと”どうして生きてるって分かるか?” ”動きますから”そしたら”時計も動いている”っていって、それで言葉を切って、私に考えさせました。何だろう何だろうって考えましたね。まだ三つ位の時ですよ。その答えは自分で解くようにといったわけです。家庭の頭(かしら)、父親とか、夫とか、母とかが、本当に人生の意味、人生のこの世におけるあり方の終わりがどうであるか、人間はどこに行きつくのか、将来はどうであるかということを知らないで子供を育てたら、子供に悪いと思います。人生の意味を、子供に、あるいは自分に委ねられたものに残して行くこと、それが一番大切なことではないでしょうか。(同書176頁)

 別の箇所で次のようにも書いている。

 植村正久は満十四歳で受洗したが、その時すでに伝道者となる決心をした。彼の一生を貫いての標語は「主キリストへの忠誠」であった。彼の先祖が徳川将軍家に対して捧げた忠義から名誉欲や昇進欲を除去し、さらに昇華し深められたものが、正久の主イエス・キリストに向かう霊魂の態度であった。(同書142頁)

 私は、植村正久と季野は大きいスケールの人間であったと思う。ブラウニングは、私どものこの世での在り方は限りない円の弧でしかないといっているが、植村正久も季野も地上の生活で彼らの使命を果たせるとは思っていなかった。この世界で彼らがやりかけた奉仕は永遠に主キリストにあって進展すると信じていた彼らである。彼らはその仕事がチンマリまとまり、器用に整えられることを願わなかった。時に彼らの主張と仕事は謎のようであった。三十一文字の上の句だけのようにさえ見えた。彼らは常にこの世の向こうを目ざし、今を将来への足場にしていたのだと思う。(同書はしがき2頁)

 このような両親の薫陶を受け育った著者が、両親を取り巻く多くの人々の交流を交えながら父母をふくめ親しい人々についてきめ細かなタッチで描いていく。この書物を通して毅然とした父親の愛、それに従う妻・母親の愛がどんなにその家族の救いになっているかを教えられた。幼き時の罪の自覚を彼女は次のように記す。

 イエス・キリストの山の上の垂訓というのがございまして、そこで行動に出た悪いことが、まず心の中にはじまる、心の中でなされた悪い思いは、行動に出た悪いことと同じくいけないのだというみ教えがあります。・・・ある時、私の悪友たちが群れをなして大屋さんの畑に、真っ赤になっている丹波ほうずきを盗みに入ったことがあります。私もその小さな愚連隊の一人になって行きましたが、やがて、大屋さんの息子が出て来たので、蜘蛛の子を散らすようにみんなは逃げて行くのですが、私だけは、そこにつっ立って「ぬすみをした」、「ぬすみをした」って泣いたのを覚えております。私だけは盗まなかったのですけど、心の中で盗もうと思ったから盗んだのと同じだというので、大損をしてひどい目にあったことがあります。(同書149頁)

 このようにして育った著者は、先の戦争時においてその反戦の態度ゆえに「非国民」「売国奴」とののしられ、また自身の牧会する教会も、家も焼き出されて戦火の犠牲になった。それでも、主イエス様に対する信頼は変わらなかった。戦後、彼女は「平和」のために腐心し、皇后や内親王に聖書を教えるように導かれる。(同書162頁による)

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(新約聖書 1ヨハネ1・9)

(この本は、もともと「婦人之友」に1936年に載り、その後1938年『植村正久と其の時代』第2巻に収められたものが、さらに戦後、教文館が新書として刊行したようだ。興味のある方は図書館で上掲の書物を見られると良いと思う。)

(写真は和田堀公園のゆりの木の樹木群)

2008年9月30日 (火)

『ベン・ハー(キリストの物語)』(ルー・ウォレス著 辻本・武田訳 松柏社発行)

Dscn4963  先日、この本は紹介したばかりである。しかし今回紹介するのは完訳版である。文庫版が326頁であるのに対して、完訳版は版も大きくかつ574頁である。けれども決して読みにくい本ではない。これは亀井俊介さんたちが監修されている「アメリカ古典大衆小説コレクション」シリーズ全12巻の第一巻を飾る本である。

 買い求めたのでなく、文教大学図書館から借りた本である。勤務先が越谷市にあったもので、この図書館には一般市民として、もうかれこれ20数年お世話になっている。大学図書館は市内の公立図書館とは勿論違い、専門書が読める。この図書館に通い始めたのはロック全集(英語版)が全巻揃っていたのがきっかけだ。図書館の窓口でも、ロックの本はありませんかと言うと、ロック音楽とばかり思われて、苦笑いしたことがある。

 ジョン・ロックという17世紀のイギリスの思想家である。私の目的は彼のキリスト観を調べることにあった。何しろ17世紀の英文で読むのに苦労した。もっとも彼の聖書解釈を読むのだから、日本語の聖書を片手に置く私には、普通の人と違ってはるかに読みやすかったと思う。当時はキリスト教がいかに思想家の中に根付いているかそれが知りたかったので対象としてジョン・ロックを選んだのである。結論はどうであったか、簡単には言えないが、私にとっては忘れられない経験であった。

 今回、文庫本で読み進めていたときは完訳版があるのは知らなかった。ネットで知った。文庫本で十分堪能できたのだが、完訳版も読みたいと思った。文庫本で一箇所誤訳らしきものを見つけたからである。それはキリスト者ならだれでも気づく語彙であった。それは文庫本の14頁にあるのだが、ギリシア人ガスパルが三博士の一人としてベツレヘムに行くところの件で、他のエジプト人バルタザール、インド人メルキオールが聖霊に導かれて行くと書いてあるのに、彼一人は「精霊」ということばが使われていたからである。この真意が知りたかったし、聖書の東方の博士は何人とも書いていないし、ましてやギリシア人、エジプト人、インド人としたのは作者の創作である。ひょっとしてギリシア思想にちなんで「精霊」ということばがあえて使われているのかなと思ったが確かめようがなかった。

 完訳版で確かめたところ、やはり「精霊」でなく「聖霊」であった。安心した。とにかく大衆小説というだけあって、巻を置く能わず、というのが私の読書体験であった。次から次へと読みたいのである。やらなければならない仕事もあるのに、そちらを放擲してまで。私は大仏次郎さんの「鞍馬天狗」を読んだことはないが、多分アメリカ版鞍馬天狗なのではないか。アメリカ人は仕合せだと思う。一箇所文庫本で描かれていたところを完訳版で書き写しておく。(ここでユダと言われているのが、ベン・ハーである。彼が不実の罪で囚人としてローマ兵に連行されて行くシーンである。)

 そのときヨセフと一緒にやってきて、後ろで静かに立っていた一人の若者が、抱えていた斧をおろすと、井戸端の大きな石のところに行った。そして水差しいっぱいに水を汲むと、囚人のところにかがみこんで水を与えた。その若者の振る舞いがあまりに自然だったので、ローマ兵は止めに入る間もなかった。
 ユダは肩に優しく手をかけられて我に返った。見上げると一人の若者が立っている。二度と忘れることのできない面立ちであった。ちょうど自分と同じ年格好で、黄色っぽい栗毛の髪が顔にかかっている。紺青色の目は穏やかだが、愛と神々しさにあふれ、胸に訴える何かがあった。強い意志と命令をくだす力を感じさせた。それまで昼夜をとわず責め立てられたために、ユダの心は硬化し、ただ復讐することだけを考えていた。ところがずたずたになった心がこの見知らぬ若者の眼差しによってたちまち和らぎ、幼子の心を取り戻したのだ。水差しに口をつけ一気に飲み干した。その間、若者は何も言わなかったし、ユダも何も言わなかった。ユダが水を飲みおえると、若者はそれまでユダの肩にかけていた手を、頭の上に置いた。祝福を与える、ちょうどそれぐらいの間、ユダの埃まみれの巻き毛の上に置いた。それがすむと若者は水差しを元に戻し、斧を取り上げ、ラビのヨセフのところへ戻って行った。十人隊長も、村人も、ただ彼の動きを呆気にとられて見守っていた。(同書138~139頁)

 なお、この本には巻末に亀井氏による作品紹介、作者についての興味深い話もあるのでそれを読むのも楽しみであろう。ただこれほどの小説を書くルー・ウォレス氏がどのような信仰の持ち主かは説明していないのでわからないのが残念であった。

わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(新約聖書 マタイ10・42)

(写真は言うまでもなく『ベン・ハー』の表紙だが、是非クリックして見てください。戦車競技の絵がきれいに見えます。)

2008年9月24日 (水)

『ベン・ハー』(ルー・ウォーレス著 白石佑光訳 新潮文庫)

Dscn4923 余りにも有名なこの作品。多くの方が映画を通して知っておられることであろう。今回この作品の原著を読んだ。(もっともこれも完訳ではないらしい)

 全部で八巻から構成されている。巻一は「東方の博士たち星に導かれて幼児キリストを拝す」である。キリスト誕生が小説家の想像で描かれている。だから全編これフィクションであるが、東方の博士の一人に模されているエジプト人バルタザールは、最後の巻八「憎悪、怨讐を越えて」まで登場するが、この小説の重要な脇役になっている。

 それでは主人公は誰であろうか。ベン・ハーと多くの人は考えることだろう。しかし主人公は作者が伝えようとする主イエス・キリストでなかったのではないだろうか。

 ユダヤ切っての名門大富豪ハー家の跡継ぎユダ(ベン・ハー)はローマ人メッサラとは幼馴染であった。しかし彼らの友情はメッサラがローマに行き、帰ってから一変する。メッサラが身に着けてきたローマ帝国の軍人としての力が、将来自分たちユダヤ民族の上に覆いかぶさってくることをユダは予知する。

 その機会は余りにも早くやってきた。椿事が起こったからである。ある日、ユダヤの新任総督が階下を通るのを屋上から見ていたユダが、もののはずみで瓦を滑らせてしまう。それがもとで総督は重傷を負い、ユダは下手人として捕えられる。逮捕したのはメッサラであった。いかなる弁明・嘆願も聞き入れられなかった。自らは終身刑として奴隷にされ、それだけでなく一家の財産は没収され、愛する母、妹はどこかへ連れ去られてしまった。

 囚人として連行されてゆく場面に次のシーンがある。

 それまで老人のうしろに人目にたたずに立っていた少年が、かついでいた斧をおろすと、井戸ばたに行って水飲みに一杯水を汲んできた。その挙動があまりにも物静かだったので兵たちも止めようともせず呆然と眺めていた。
 ベン・ハーは肩に優しく手が触れたのを感じて、目がさめたように頭をあげた。自分と同じくらいの年ごろの少年の顔が目にはいった。黄色味をおびた明るい栗色の前髪が陰をおとしている顔から、青くすんだふたつの目が、愛と聖い光と強い意志をたたえて、優しく力づけようとしていた。ユダは、その顔を生涯忘れなかった。日夜の苦しみと不正への怒りのために冷酷になり、復讐の鬼となっていたかれにも、少年の目を見ていると童心がよみがえってきた。かれは水飲みに口をあてて長々と飲んだ。(同書65頁)

 老人は大工ヨセフであり、少年はそのせがれイエスである。ユダはガレー船の漕手として奴隷に転落する。しかし漕手である彼は神から見放されなかった。海戦で船沈没の危機の中で提督の命を救い、その養子とされたからである。けれども彼の胸中を駆け巡り依然として支配していたのはメッサラへの復讐、ひいてはローマ帝国からユダヤ民族独立国家設立の野心であった。あの映画のシーンで有名な「戦車競争」はそのようなメッサラへの復讐を果たす上での一つの到達点のできごとだ。

 そして、草の根を分けて探しても見つからなかった母と妹の所在が終幕近くで徐々に明らかにされてゆく。しかしそれは全く見ちがえる姿であった。二人はライに犯されていたからである。もはや名乗りを上げようとしても、名乗り出ることのできない社会から隔離された母娘にされていたからである。この絶望的な家族に主イエス・キリストのいやしのみわざが及ぶ。映画の中でも矢張り感動的なシーンである。

 しかし、映画の中の最も感動的なシーンはラストの十字架で流された主イエス・キリストの血潮がすべての憎悪怨讐を覆い尽くすところであろう。小説はその原典としてロゴスで私たちに全編を通して、ていねいに語りかける。ここでは巻七「妖女イラスと魂の王国」の中のことばを短く紹介しよう。

神が、王ではなく、魂の救い主をこの世に送られるという考えは、ベン・ハーにとっては決して新しいものではなかったが、老人の信仰の深さには、かれの心に訴える何かがこもっているようであった。「そうすると、バルタザールさん、あなたはそのお方を、ローマ皇帝のような王ではなく、やはり魂の救い主として考えておられるのですか。つまり、世界を支配されるのではなく、人間の心を支配されるお方として―」(同書260頁)

 振り返るとベン・ハーにとって復讐がすべてであった。しかしついには一人の人がすべての人の罪の身代わりに十字架にかかられたことを悟る。そのことを思う時、主イエス様を小説を通して少しでも紹介したいという作者の思いが伝わってくる優れた作品と言える。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(新約聖書 1テモテ1・15)

(写真は汚くって申し訳ないが、一二年前に図書館のリサイクル本放出で手にした私の「ベン・ハー」である。海戦の模様が描かれているので拝借させていただいた。)

 

 

 

2008年9月19日 (金)

人物叢書『有馬四郎助』(三吉明著吉川弘文館)

Dscn4853  この本の所在を知ったのは二三年前であっただろうか。その時図書館から借り読んだが、途中で挫折した。今回で読むのは二回目である。本を読むには確かに忍耐がいる。今回はどうしても終わりまで読みたかった。言うまでもなく、今一緒にお読みしている『恩寵の生涯』の好地由太郎氏の証の文章に再三出て来る人物であるからである。

 有馬氏は1864年(文久4年)に鹿児島に生まれ、1934年(昭和9年)千葉刑務所で講演後、碁を一局指している途中、突然脳溢血で召されたのでその生涯は70年ということになる。有馬氏は鹿児島の小学校訓導、京都府巡査を経て、22歳の時生涯の働きの場となる北海道集治監看守長に職を得る。

 南国の薩摩隼人が厳寒の北海道へ死刑以外の重罪犯を収容する施設へと志願する。それだけでも大変な決心であった。鉄道網が未成熟の時代、鹿児島から釧路まで各地の港に立ち寄りながら、すべて船旅であった。中国、朝鮮に行くより遠路であった。しかも何人かの恐ろしい囚徒を引率してである。それこそ、好地由太郎が北海道だけは送られたくないと脱獄の犯罪まで犯した場所に同時に母親を連れて出かけたのである。彼の地では鬼典獄と囚人に一目置かれた。もとより薩摩隼人として耶蘇教は問題外であった。

 ところがこの北海道は開拓初期で様々な人が内地から出かけた所であった。囚人に関してはその労働を善用して道路建設、炭鉱労働などに当たらせ開拓の富を得、あわせて北辺のロシアに対抗できるようにとの深慮遠謀の政府の方針があった。その囚人収容所である集治監の教誨師としてキリスト者が多数加わったのである。仏教徒の関与はきわめて当初は少なかった。このような中で有馬氏は実に有能なキリスト者に次から次へと出会うのである。上司である大井上典獄はじめ生涯の友となった留岡幸助氏、大塚素(ひろし)氏などがそれであった。

 中でも大塚素(ひろし)氏は釧路から、教誨師としての仕事の激務のかたわら、当時網走分監長であった有馬氏に『マルコ伝』を各章ごとに注解をして郵便で書き送ったと言う。もちろんすべて毛筆である。厳寒の中、指先を暖めながら、深更にまでかかって仕上げられた。明治27年の11月に始められ、翌年の3月にまで毎週のように書き送った。彼はこうして様々な偏見から解放されキリストに捕えられる。

 北海道から内地に帰り埼玉県典獄(浦和)を皮切りに巣鴨、神奈川、神戸、小菅、豊多摩と歴任する。(その間、集治監は監獄に、監獄は刑務所と名前が変遷する)鬼典獄はいつの間にか耶蘇典獄として有名になるとともに、多くの誤解・中傷の的、国家をも巻き込む巣鴨教誨師事件の渦中の人となる。明治31年、日清戦争に勝利し、日本の国権が強化される時代であった。もちろんそのような中で彼のキリスト信仰は崩れなかった。

 日夜刑を受けざるを得ない犯罪者の更生に命をかけた。公務は勿論のこと、個人で盟友留岡幸助氏とともに様々な青少年の感化事業を民間事業としても行ってゆく。(留岡氏の「家庭学校」は有名だが、有馬氏も横浜はじめ各所に家庭学園を創始する。)好地由太郎氏の結婚の時、この二人が司式、媒酌をつとめる。生まれも育ちも違う三者だがともに1864年1865年生まれというほぼ同年の者がキリストの愛において一つに結ばれるのである。しかも典獄、教誨師、犯罪者の三者が共通に神の前の罪人として一つにされたのである。

 彼は8人の子宝に恵めれるが、激務の傍ら家庭が決して順風満帆であったわけでない。子育てで人知れず苦悩したという事だ。彼の愛用せる聖書はその欄外にその折の苦悩が認められているという。まさに血肉の力に人知れず悩みぬいた人間有馬であった。この彼は盟友留岡幸助氏から34歳の時洗礼を受けるのだが、最晩年彼より一足早くその留岡氏が病に倒れる。心配の余り葉書を認めたが、これが彼の絶筆となろうとは。それは突如として冒頭述べたように脳溢血で倒れたからである。しかしその翌日盟友留岡氏も死去する。葬儀は合同葬であった。生も死も分かち合った二人であった。

 このような事柄が同時に時代の進捗状況をつぶさに描きつつ述べられてゆく。歴史書として格好の書物である。私の説明が不十分で、人物を述べるのに急で、特に行刑の基礎を築いた人として有馬四郎助の功績を述べることが出来なかったが、昨今の様々な犯罪事件を考える時、日本の監獄制度に果たしたキリスト者の大きな貢献があったことを忘れてはなるまい。

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(旧約聖書 詩篇126・5~6)

(写真は浅間山麓に展開する蕎麦畑、御代田にて撮影)

2008年9月18日 (木)

『天国とそこへ行く方法』(D.L.ムーディー著森溪川訳)

Dscn4876  あなたは、毎日通う電車の中で、どんな風に過ごしておられるだろうか。前日の仕事の疲れが取れず居眠りされているであろうか。それとも、今朝の新聞を見て何が起こったか知ろうと一生懸命に読みふけっておられるのであろうか。そのような時、隣に座っている人が、もし「天国とそこへ行く方法」という小冊子を夢中になって読んでいるのに出くわし、たまたまその表題が目に飛び込んできたらどう思われるだろう。

 「天国?そんな雲をつかむような架空の話を隣の人は一生懸命読んでいるんだ」「何か、この人は死に急いでいるのだろうか?」そう思われるだろうか。それともまた全く別のことを考えられるだろうか。

 ところで、車内にて夢中で「天国とそこへ行く方法」という小冊子を読んでいた人とは、実はこの私のことなのだ。それではこの私は一体どう考えていたのだろうか。最初、この小冊子「天国とそこへ行く方法」を広げ始めた時、読んでいる自分が、周りの人からどのように見られるか気になったのだ。特に今時「天国」なんて信じているこの人は何とおめでたい人だと言う声が聞こえてきて、一瞬表題を見られたくないとさえ思ったのだ。どうして、そういう思いが出てきたのかわからない。

 けれどもこのブログを始めて以来まだ3ヶ月も経たないうちに、様々な方々の死に立ち会ってきたのは事実だ。特に最近ではこの九月十六日に亡くなった愛する叔母を八月初め、九月初めと二回ほど重篤の中でお見舞いできた。ご高齢であって天国へ旅立たれた人々を何人か知っているこの者にとって叔母に何としてでも天国を知ってほしかった。

 多くの方は、人は死んだら、極楽浄土に行く、「天国」もそのようなキリスト教の「極楽」版に過ぎないと思われるかもしれない。しかし、キリスト教という宗教とは何の関係もない。「天国」とは、イエス様が人の罪の身代わりに十字架にかかられ、よみがえられ、今父なる神の右の座に着かれている具体的な場である。だから死に行く人がはっきり主イエス様のみわざを確信して行く場所である。

 確かに、最初こそ、そのような周りの人が気になった私だったが、わずか61頁足らずで、しかも昭和27年発行の50円の古本、冊子全体が黄ばんできたものをわき目もふらず読みふけるようになったのは、そのような確信を読めば読むほど得ることができたからだ。そして読んで良かったと心から思うようになった。

 D.L.ムーデイーは19世紀のアメリカの伝道者である。だから前々世紀の人物だ。この本の中で3つのことがテーマに上がっている。(1)天国はどこにあるか、(2)天国の住民、(3)天国にある私たちの世襲財産の3つである。そして実に半分以上のページを割いて世襲財産について述べている。内容は皆様自身に読んでいただくことにして、ここでは著者の序文を以下に紹介しておく。(現在入手困難かもしれないので、参考までに英文書名を書き上げておく。HEAVEN AND HOW TO GET THERE BY D.L. MOODY)

 この度の私の主題は天国ということであります。ああこれは何という素晴らしい題目でしょう。その徹底した意味はどんなものでありましょう?栄光と喜びで満ち溢れる題目、冠と竪琴と永遠の生命の芳しい香で満ちている題目であります。
 この重要な問題について、私たちはどんなにしたら信用のできる報告を得ることができるでしょうか。それは簡単に言えば聖書によるより他ありません。(中略)聖書は唯一の基準であります。それによって、ただそれによってのみ歩みなさい。神よ、私たちの悟りの目を開き給え、そうすれば私たちは上に在る天国を幾分でも知ることが出来ます。神が御自身を愛する人々のために準備しておられる住居を、幾分でも知ることが出来ます。それゆえに聖書は天国についての知識を求める唯一の案内書であると云うことが出来ます。

この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(新約聖書 マタイの福音書4・17)

(写真は今日の取手付近の利根川の様子、列車徐行のため車窓から撮影)

2008年8月21日 (木)

『クワイ河収容所』アーネスト・ゴードン 斎藤和明訳 ちくま学芸文庫

Dscf025350  8月になると戦争の記事、ルポが蔓延する。それでも息子の指摘によると、今年は全国紙を自認する新聞の扱いも小さいと言う。そして今はオリンピック報道一色である。妻はそんな中で先々週、先週とNHKの「レイテ」「B・C級戦犯」「アヘン」の放送をじっくり見て、いろいろ話してくれる。

 そこでこの本を20数年ぶりに再読した。一頃、泰緬鉄道のことが流布される前に偶然の如くこの本に出会い、家内も私も痛く感動し、友人にプレゼントしたりした本である。そのおりの新地書房版は今や手許にない。題名も『死の谷をすぎてークワイ河収容所』であった。

 冒頭から俘虜の主、日本国の加害責任を訴えてやまないものがある。どうしても過去の日本の戦争責任の罪を忘却しがちな者にとって、このような俘虜にされた人々の側の証言は貴重で傾聴に値する。5年を要する工事を一年で完成させようとした日本軍の命令により鉄橋の建設工事は行なわれ、労働力たる俘虜は酷使され倒れて行く。しかし、読み進めるとそれだけが主眼でないことがわかる。俘虜同士の戦い、俘虜自身の死との戦いに筆が進んでおり、その何とも言えない絶望、どん底こそ人間にとって最も救い難い現実であることが徐々にわかってくるからである。

 すべての者が倒れ死に向かう中で、著者もそのうちの一人で死者の中に横たえられ放置された重病者であった。しかし二人の同じ俘虜仲間の人の手が彼を生へと立ち上がらせる。そのうちの一人「ダスティ」は「愛」の化身であった。彼らの目立たないが、絶望することのない生き方、人を支えて止まない生き方は、次々と伝播し、チュンカイ俘虜収容所全体を大きく変える。もはや監視兵である日本兵がいかに酷薄な処遇をしようとも動じない世界である。

 それまで著者の知っていたキリスト教は形骸化したものでおり、俘虜待遇を受ける中で全く無力であった。しかし、二人を初めとして少数ではあるが主イエス様の愛をまことに体験している人たちを通して流れてくる愛に目覚めさせられる。夜の竹薮集会が持たれ、壁のない教会が収容所に現出する。歌を忘れていた人の口に歌が戻る。廃人同様であった収容所の人々の賜物が開花する。「大学」までも誕生する。そして誰もが自分さえ助かればいいという生き方から解き放たれて、崩れ死に行く隣人に関心を持ち始めるのである。まさしく奇跡である。

 辛苦を窮める収容所生活は日本の完全な降伏まで、転々と場所を代えて続けられる。収容所を移動することは日本軍が連合軍の空からの攻撃を防ぐ戦略上の役割として期待されていたからだ。著者は言う

チュンカイ収容所での夜の竹薮集会で、私自身が、仲間たちとともに、話し合いを通じて次第に成長していた。やがてこの私自身がイエス・キリストを知るようになっていった。あの時、私たちが探求していたのはイエスの生涯とその教えであった。そしてそのことにだけ関心の範囲を限っていた。いまやチュンカイからナコーム・バトム収容所へ移ってきた私たちは、もっと先へ進もうと考えている。(同書356頁)

 しかしついに終わりが来る。著者たちは祖国に帰る。「谷をすぎゆく、・・・そして、その後」と題された最終章こそ著者の戦後の第一歩であった。ここで著者は平和であるべき世界に何を見たか、また何を伝えようとしたか、意外な結論に襟を正されるのは私だけであろうか。

 「信仰」とは何であるか。「理性」とは何であるか。著者の過酷な戦争体験を通して、それらを著者とともにじっくり考えることのできる最良の書である。以下は著者が目次裏に掲載している聖書のことばである。

かしこに大路あり。その路は聖道(きよきみち)ととなえられん。穢れたるものはこれを過ぐることあたわず。ただ主の民のために備えられる。これを歩むものはおろかなりとも迷うことなし(旧約聖書 イザヤ書35・8)

(写真はフランス・アルルの跳ね橋、ゴッホの絵画の対象となった場所)

2008年8月 6日 (水)

『画文集 花の声』(村田ユリ 海竜社 2004年)

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 「花の声」とは正しくこの画文集にふさわしい名前だ。見開きの左ページに著者の手になる花の絵が、右ページにはその花にちなんだエッセーが配置されている。エッセーに読みつかれたら(実はそんなことはあろうはずはないのだが)、花の絵をじっと見つめているだけで疲れが取れる。そしてそれぞれのエッセーには日付と場所が記されている。場所は東京と長野県の御代田の二箇所である。著者がこの御代田に農場を持っておられたからだ。

 折節の季節の移り変わりの中で、都会にあっても山里にあっても私たちに話しかけてくれる花々の存在はありがたい。いやそれだけではない。食料になり染料になり衣料になったりするものもある、はては「ほおのき」のように建具になるものさえあるという。人間を支える存在の一つとして神様の御愛を改めて思うことができる。全部で82の花々が紹介されているが、たとえば「なでしこ」について書かれたエッセーは次のようなものだ。

 写生まえに、机の上の花と対峙していると、自然に花との交流が始まる。それは言葉では説明しがたい、一種、人間同士の感応のようなものである。美しさに惚れぼれと見つめれば、花は一番美しい面を見せてくれる。得難いものに出会った時は、こちらの心のときめきまで、総て花には通じているもののようである。学者の中には、植物も言葉が解ると断言している人さえある。別名、やまとなでしこ、日本女性の代名詞である。優しくて、なよなよしているのに、花弁の切れ込みなど、なかなか鋭い。この花はなぜか私にあまり好意を示してはくれない。何度描いてみても、手こずってしまうのである。 七月十五日   御代田

 こんなふうに花と対峙していると、どんな花も決して粗末にはできなくなることだろう。現に村田さんは野草一本たりとも無駄に採集しないという。まして御代田町のある長野県浅間山麓一帯は、国立公園区域の中にあるから当然だ。すでに11年前に召された村田さんだが、こうして今もなお、そこにおられるかのように、やさしく語りかけ、その絵筆を通して私たちを花の奥深い世界へと一気に案内してくださる。

 私はこの本を読むまでは、今まで何の気なしに美しいと思われる花の写真を、それも「花の声」を聞くことなく撮っていた。そんな反省を込め、新しい気持ちでデジカメを持ち、庭へ行こうとした。途端に玄関先の隙間にいつも根強く生え、鮮やかな黄色を見せ、私たちを送り迎えしてくれる花の存在が気になった。今日の写真はその記念に撮った写真である。

 こんな素晴らしいご本は小諸学舎の支援をされているという一羔会(いっこうかい)のご努力で四年前に重版にこぎつけられたようだ。発刊の1983年以来四版を重ねている。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(新約聖書 マタイの福音書 6・28~30)
 

2008年8月 1日 (金)

『パスカルの信仰』(田辺保著教文館2006年発行)

Dscn4381  著者の田辺保さんは言うまでもなく、パスカルの科学論文を除く全作品を日本語に翻訳してくださった方である。以前からお名前は存じていたが、身近に意識するようになったのは今年になってからである。
 それも偶然であった。Iさんが集会広場でキリスト信仰に至るまでに遍歴されたネットのサイトを紹介されていた中に、FEBCがあった。20数年前まではよく教会に満足できず聞いていたラジオ放送であった。久しぶりにネットで探ってみたら、たまたま田辺保さんがパスカルを語る番組があった。聞いてみて魅了された。(ちなみにFEBCの他の番組は大体において「教会」のもので今の私には個人的にはしっくりこないが・・・)
 著者を知るのに『僕は盲導犬チャンピイ』の著者河相さんのように直接お目にかかってそのお人柄を知れば、文章の後背をも読み取れるというものだ。田辺さんは1930年生まれであるが、このサイトによる対談は若干聞き取りにくいところがあるが、田辺さんのパスカルへの思いが肉声を通してそのまま伝わってくる。
 私自身のパスカルとの出会いは1969年前後だと思う。勤務校であった足利商業高校の図書館での確か人文書院から出ているパスカル全集三部作であった。もちろん『パンセ』はふくまれていた。しかし私がその中で読んだのは『要約イエス・キリスト伝』であった。
 当時、親しい女友達から盛んに聖書を勧められていたが、中々福音書が読めなかった。自分の中で考えれば考えるほどイエス・キリストの事跡が一つの像に結びつかないのだ。思いあぐねていたときに、この本に出会った。そしてパスカルを通してイエス・キリストは信じられるお方であると初めて個人的に体験したように思う。
 それから信仰を得て、1980年代にこの田辺さんのパスカル全集が毎回教文館から配本された。欲しかった。しかし仕事も忙しく、本を読んでいる暇もないだろうし、第一、高額でいずれ読まないだろうからと、身銭を切るのも気が進まず、今日に至ったわけである。
 ところが、田辺さんの放送番組の収録されたサイトを聴いて改めて興味をそそられた。あわせてベックさんが主は生きておられる13号でも引用されているパスカルの「病の善用を神に願う祈り」の存在を知っていた。折りしも全巻10巻が3500円で、ある古書屋さんが販売されるのを知った。桁数が一つ抜けているのでないかと思ったが、確かめてみると3500円であった。この方にとってはそれほど価値の無いものなのだろう。古本の妙味である。思い切って購入した。
 久しぶりの哲学書である。不安がないでもなかった。パスカルは「要約イエス・キリスト伝」で知っているとは言え、17世紀のフランス・カトリック教会の中で生きた人である。もうこの年になって寄り道をしたくなかった。渉猟の目的は『パンセ』である。いずれは紹介したい本だが、さし当たって格好な参考になる本がないか探していたらこの本が見つかった。
 予想通りの良書であった。学生時代、森有正の本を読んでいたが、どこまで理解していただろうか、ムードで読んでいたに過ぎない。ところが今回の田辺さんのこの本は一字一句響いてくる。彼がまた商業学校から大阪外語に進学し、学者としては遅れて30歳そこそこでフランス留学を果たしことや、最晩年に当たる胃がんの手術の中でパスカルの病気がちであった中でのイエス・キリスト信仰を語られていることにも大いに共感を覚えた。
 私としてはもちろん不満がないではない。やはり主イエス様が上から与えてくださる信仰がやや主知主義的に語られようとしているところ、モンテーニュの『エセー』延長で語られているように思えるところなどである。私の浅学のせいで「読み」がたらないせいかもしれない。けれども今日これほどわかりやすいパスカル入門書はないと思う。是非ご一読をお勧めしたい。なお田辺さんはみすず書房の紹介によると1930~2008となっている。これがどういう意味か解らない。ご存知の方は教えていただきたい。

2008年7月14日 (月)

『ぼくは盲導犬チャンピイ』(河相洌著)

Dscf098930  この本は最初昭和42年(1967年)朝日新聞社から発行され、現在は偕成社文庫に納められている。日本における最初の盲導犬の誕生を大森、吉祥寺、彦根、浜松などを舞台にどのようにして実現したかチャンピイの視点から描かれた優れた作品である。

 黒めがねをかけ杖をもった盲人が、一匹の犬とともに繁華街を歩いている光景を、著者は中学(旧制)3年の時、たまたま新聞で見て覚えていた。著者はその後2、3年し、戦争末期の軍需工場での勤労奉仕がたたったのだろうか、昭和二十年八月十五日をはさんで急速に視力を落とし遂に失明に至る。世の中が混乱を覚えながらも多くの日本人が希望の曙光を見出していた時だ。それもご父君が終戦工作に着手するために外交官を辞されたようなご一家に見舞った悲劇であった。

 著者はその時の苦悩について多くを語られない。それよりもあの少年時に記憶下にあった盲導犬の姿を原像に、自身が僥倖のごとく米国海軍大佐ノーベル氏から譲り受けたシェパード犬チャンピイとの共生を通していかに一歩一歩盲人として自立をはかるに至ったかを、地をはいつくばって河相氏に仕えたチャンピイの目を通して語られる。思うに目線は下からである。決して上からの目線ではない。

 著者は別著『盲導犬40年の旅』(偕成社2001年刊行)のある箇所で次のように語られている。

 わたしはチャンピイ誕生の経緯を人間のドラマに譬えた・・・つまり劇の主役は言うまでもなく、塩屋氏とチャンピイであり、わたしは単なる脇役にすぎない。だが裏方として舞台を用意し、これを大きくまわす人がなければ、この劇の幕を上げることはできなかったのだ。その裏方とは・・・ノーベル大佐であり、また塩屋氏と私の懸け橋になってくださった相馬安雄氏のことである。ところでわたしたちの出会いは、単に偶然の出来事だったのだろうか。・・・そう考えてみると、四人と一匹が織りなす綾のなかには、偶然を超えたあるものの大きな計画を感じないわけにはいかない。すべては昭和三十二年に向かって準備され、静かに進行していたのだ。わたしたちはそれを露知らず、お互いそれぞれの暮らしのなかで生きつづけてきたのだが、じつはわたしたちを束ねる見えざる手が、われわれをある方向に導き、駆り立てていたのだと思う。

 人生に蹉跌はつきものだと言われる。問題はそれをどのように受けとめるかではなかろうか。チャンピイが丁字路、十字路で、右、左を確認し、障害物を地上においてだけでなく、さらには高いところにあってもご主人を安全に歩行させるためにいかに気を配らねばならないか、ハーネスをつけ仕える姿は著者の情愛こもった文章で綴られて行く。今日、盲導犬との生活を描いた作品も著者以外に書かれるようになった。しかしこの著作はやはりその嚆矢であろう。

 チャンピイは盲導犬ではなかった。しかしものの見事に訓練の結果、日本初の盲導犬となった。私はチャンピイに会ったことはない。一読者として当然であろう。しかし私の叔父叔母やいとこたちは知っている。それもそのはず、チャンピイがご主人の実家のあった大森や訓練施設のあった吉祥寺界隈での訓練を経て、実質的にご主人とともに初めて生活した土地が彦根であり叔母の家だったからである。

 今から十数年前、友人のFさんご一家に無理を言って東名高速道路を途中で降りていただいて当時既に三代目セリッサを抱え河相さん御夫妻が永の地として選ばれた浜松のお宅をお訪ねしたことがある。河相さんは座談の妙を心得たお人で決して人を緊張させないお方である。その時は談たまたま私たちの尊敬する医学者であるSさんが洌さんの小学校の同級生であることを知り双方とも驚いた記憶がある。

 爾来、失礼をも省みず、何度かお訪ねした。夏避暑に行かれる菅平の山荘に家族でお邪魔したこともある。何時お伺いしても私たちは心の中に充足感を与えられてそこを辞させていただく。それはやはり著者が恐れるべき方を恐れつつ、しっかりと自身を見舞った悲劇から逃げないで、最大最愛の伴侶である玲子さんに助けられながら、盲導犬とともに生きてこられ、すべての人間、はては生きとし生けるものを愛されている証によるのではないだろうか。

 昨年の春だっただろうか、大阪で一人の盲人の方Hさんの御子息の洗礼に立ち会った。ところが何とHさんは河相さんの彦根盲学校の教え子だった。そして彼女は河相さんを通して人生を深く考えたと言った。彼女は当然だが実際チャンピイを知っている人だ。

 人の取り持つ縁は限りがない。目に見えない糸がここにも引かれていた。6月下旬彦根に帰り、たまたま彦根図書館(旧彦根盲学校跡地付近)から散歩がてら彦根城下「埋木舎」「いろは松」を通過し、いとこの家の方面へと歩きながら私はそのような邂逅をも考えざるを得なかった。この一冊の本を通してどれほど絶望の淵にいた多くの方が曙光を見出したか知れない。それはこの著者のもっとも願っていることではなかろうか。

(写真は浜松ゆうゆうの里での河相洌さん。200612月撮影)

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(旧約聖書 エレミヤ書29・11)

2008年7月 5日 (土)

『若い日に創造者を覚えよ』(青柳惇著)

Dscn4223_2 この本はありがたい本だ。なぜなら、どこからでも読めるからだ。今から10年前のメッセージをふくめ、全部で15本のメッセージが収録されており、それぞれ話のテーマは違い多岐にわたる。

ところで、私はこれまでは興味あるテーマの作品をこの本から数本読んだに過ぎず、それで終わっていた。今回、この本を紹介するに当たって一気に全作品を読んで、新たに、大きな恵みを得た。

それは一つには読み疲れた時に、待っているかのように置かれている「花」の絵の存在であった。まるで美術館の一室で静かにくつろいでくださいと言わんばかりの配慮だ。実は絵は奥様の手になるものである。そう思ってあとがきを眺めてみると、この本が様々な人の協力で産まれていることがわかる。

二つには、「生と死―先に逝った友へ」の存在はじめ著者の愛が改めて伝わってきたからだ。この同じ企業で働いた畏友を思う著者の心情と主イエス様への愛は胸に迫る。巻末にこれに相当する英文も載せられている。実は火曜日のエッセー「男9人の物語」で紹介したレストランでは著者である青柳さんもご一緒だった。その折も食事の前に限りある良品を阿弥陀くじで分けようとするなど座を盛り上げていたが、茶目っ気のある著者のその態度は、このメッセージのそれぞれの終わりの中にも登場している。

たとえば、「適度に楽しむ○○は主もお許しくださると思いますので、どうか仲間はずれにしないで頂ければ幸いです」(166頁)とある。単なる机の上での著作でなく、生活の中で主イエス様と向き合い、主イエス様の恵みの中に生きようと呼びかけるメッセージの醍醐味ではないだろうか。

そう思って読んでみると、著者が様々な人々への配慮をされ、愛され、また一人の人に対する様々な場面での愛を主イエス・キリスト様から直接学んでおられ、学ぼうとしておられることが良くわかる作品である。最後の作品では「再臨」についてきちんと触れられていることも感謝である。

長らく国際金融界の第一線に身を置き、二度の滞米生活も経験された。だからこそ貿易立国としてものづくりからスタートしなければならなかった日本が、いつの間にか経済大国になり、マネーゲームに邁進する中で、陥ってしまった金融界の罪(ざい)に対する自戒のことばも漏れうかがえる。随所に戦後経済の変貌を垣間見ることができる。

そのような著者がどうして50代後半に主イエス様に出会われたか、そして主イエス様は私たちが主イエス様を知らない以前から愛して導いてくださっているのかが著書全体で証されている。だから、著者にとって、「若い日に創造者を覚えよ」とは、本来若者への専売特許のメッセージではない。そうでなく、主を知るまでは何歳だって若いと考えておられるのではないだろうか。(技術経済研究所刊500円)

2008年6月29日 (日)

『泉あるところ』

小原十三司、鈴子共著になる作品です。ホーリネスの群から1976年発行された本です。小原鈴子さんの『隠れし力』はかつて家内が子育て真っ最中の折、愛読していました。残念なことに今は手許にありませんが、その代わりに今年初めに、ある会場のバザーで見つけました。今では毎朝読むデボーションに欠かせない本のひとつになりました。

鈴子さんは、徳川家の末裔の一人ですが、イエス様の救いを受け、救われました。そしてこの本ではクララとして登場なさっています。ご夫婦が一年間に交互になされる勧めがありがたいです。このところご主人の担当日の箇所は戦中に治安維持法違反で拘禁された折の獄中便りが続いていますが、今朝は「神の同労者」と題してクララさんの番でした。引用聖句はルカ5・3、1コリント3・9でしたが「われわれもシモンのように、主イエスから小さなお頼み事、主のお働きへの協力を求められました時に、心の戸を開いて妙なる神のパズルの一片となって永遠のご計画の同労者とならせていただきたいものです!!」と結ばれていました。

私のブログ名はこのご本のお名前を拝借させていただきました。天にいらっしゃるお二人が喜んでいただくブログになりたいと思っています。今ではこの本は中々手に入らないように思いますので、時々、ご本に現わされた文章を紹介させていただき、ご両人が示されたキリストの香りを味わっていただきたいと思っています。

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