ニュースの泉

2009年9月18日 (金)

「天下の秋」

Dscn7930  出色の見出しだ。毎日新聞夕刊が今回の政権交代を報告するドキュメント記事につけた見出しである。麻生氏、鳩山氏攻守ところを変えた人々の姿が描かれていた。秋は哀愁を思い寂しく感ずる向きもあろう。また逆に収穫の秋を迎え喜ぶ向きもあろう。この季節特有の感慨がアンビバレントな世相を映していて巧みな記事になっている。

 しかし私自身の根拠なき感想だが、小選挙区制の選挙からすると4年後には再び逆転するかもしれない、と思う。そうすると正反合となり8年先が正念場ということになる。しかし果たして歴史がそう簡単に人間の思う通りになるものか。先のことはわからない。過日も滋賀に帰省し尊敬する叔父や従兄と政治談議になった。私が「少なくとも今回の政権交代で政策決定のプロセスがわかるようになったのは良かった」と言ったら、従兄は「透明性ということか」と私の意見を言い当てた。

 今から半世紀以上前の1955年私がまだ小学校6年の時に書いた日記は以前にも紹介したが、最近その時期、亡母も並行して日記を書いていたことに気づいた。(と言うより、恐らく母は私に日記を書かせるために、自分が率先して模範を示さねばと思って買い与えたのかもしれない。二つに日記は全く同タイプの自由日記であるからだ。)

1月23日の私の日記 
・・・大相撲初場所は千代の山が優勝した。六時のNHK国会ろくおんをきいた。鳩山さんはのんびりと緒方さん鈴木さん河上さんの質問に答えていられた。ぼくのお母さんは「お方はあほだ。やっぱり社会党の人のたずねかたがよい。」とはりきっていられた。

 同日の母の日記には前日義兄が突然来られて接待に疲れ果てたようでNHKのその話は書いていず次のように記されていた。「お天気は上々、雪どけの水がジョロジョロととゆを伝う。自動車の走る音が合間合間に聞こえる。警笛が遠くへ過ぎ去っては又来る、静かな昼前の一時、火鉢にあたりながら家計簿の整理をする。(中略)午後漬物(沢庵味噌漬)」ところが翌日翌々日には次のような記事があった。

1月24日
(略)衆議院解散。与野党万歳三唱の録音を聞く。何の為か拍手位でとどめて置けばよいのに・・・

1月25日
 寒い寒いと云って火鉢に当たって居る中に一月も後僅かとなって了った。午後胴裏を少し縫った。いよいよ総選挙各党予想の顔ぶれ一覧表が出る。目だって新しい顔ぶれもなさそう。党か人か。再軍備反対、憲法改正反対。やはり人より党を選ばねばなるまい。同じ党の中で人格のある人、実行力のある人にと思う。

 この年の秋、自民党は自由党と日本民主党が合同し誕生している。今回の政権交代はその55年体制が完全に崩壊した出来ごとである。半世紀前の天下の秋は自民党総裁代行委員であった鳩山一郎氏が総裁になろうとしていた時期であった。(総裁候補として有力であった緒方竹虎氏の急死によって、翌年春初代総裁として選出される)

 そして2009年の秋、その孫である民主党代表の鳩山由紀夫氏が、その自民党を倒して民主党代表、首相として政権の座に着いた。小学校6年生の目に映じた鳩山さんは「のんびり」としておられる方と写っている。今の小学校6年生はどのような印象を由紀夫氏に持つのだろうか。鳩山一郎氏は日ソ国交回復を実現した人であるが、同時にそれまでタブー視されていた憲法改正を政治の軸とした人である。戦後の日本政治の民主化を求めて田舎の母子が中央政界の政治に注目していたにもかかわらず、様々な膿をかかえながら今日の政治は随所に様々な利権政治をもたらし、制度疲労をかかえている。

 最近、ある人の著作集を手にした。その人は1958年1月に次のように言っていた。
「(略)しかし我等日本人の心は、敗戦によって破れたのでなく、心が破れていたから、かかる戦争をはじめたのである。即ち心の破れは結果でなく原因である。そしてこの心の破れているのはただ日本人だけではない。アイゼンハワー米大統領はパリまで出かけて行って、平和には犠牲が必要であると叫んでいる。彼の意味するのは、軍備の拡充によって平和を来らせようというのである。彼の心も破れている。この心の破れがいつまた世界を破るかわからない。テニスンの歌ったように、古い争いの年をおくって、新しい平和の年を迎えることを我等は熱望してやまない。それには我等が、家庭で職場で、破れを繕う者とならねばならない。これにまさる光栄ある仕事はない。」(藤本正高)

 天下の秋を送るにあたってこの先人のことばを胸に秘めて政治を注視するだけでなく、自ら家庭にあって人々の中にあって繕う者とさせていただきたい。聖書は語る。

あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう(旧約聖書 イザヤ書58・12)。

(写真は生家の近くにある「しんのき川」に面する板塀の連なる風景。)

2009年8月25日 (火)

党首を見る、聞く。

Dscn7706  選挙戦がたけなわである。過日も某政党の党首が駅頭に来、次期首相になるかもしれないという人とあって人々は黒山の人だかりになって集まっていた。私も野次馬根性は人一倍持っているので少し待っていたが、中々来るようには思われず、この時はあほくさくなって早々に退散した。

 ところがこの日曜日はまた別の党首が来るという。なのに駅頭は前回の時よりはるかに少ない人出であった。この党首には興味があったので、長野県御代田からはるばる帰って来て疲れていたが、駅前のロータリーに腰を下して、夫婦してしばし待つことにした。党首の来るまでの間、市会議員や立候補者がそれぞれマイクを握り同党の政策を訴えた。久しぶりに国の政治について考えた。

 30分ばかりしていよいよ党首が小走りに現れた。パラパラと叩かれる拍手の中、右や左に愛嬌を振りまきながら同党のマニフェストが簡潔に述べられ、護憲政党らしく終わりを締めくくった。劣勢にある党らしく、時にはそのスローガンは悲壮にも思え、つい涙ぐみそうにさえなった。普段テレビを通して聞くのとは違って、党首の全身をさらしての訴えには、その人のすべてがわかったような気持ちになり、私はこの党首の誠実さを快くうけとめることができ満足した。

 政権交代は必至と言われる。問題はその後であろう。現状を何とか変えて欲しいという思いが充満しているに過ぎない。これまで政権政党が余りにもあぐらをかきすぎたつけが一挙に露呈した結果なのであろう。対する野党もマニフェスト選挙の合いことばだけが空しくこだましている感さえする。後半戦に入りより一層連呼が激しくなることであろう。投票が欲しいためだけの連呼なら御免を蒙りたい。政治を司る人に求めるべくもないが人間としての矜持を求めたい。

 これまで何回投票を行なって来たのだろう。まだ投票権を持たない幼い時代に、投票から帰ってきた父に、誰に投票してきたのと聞いたら、怖い顔をして、「そんなことを人に聞くものじゃない」と叱られた。そんなに厳しくなかった父だけにこの時の印象は大きい。後年宮澤俊義の啓蒙的な著作「憲法講話」に秘密投票がいかにして制度化し民主主義に大切な原則であるかを学び、父のこの態度を有難く思った。数年前ロサンゼルスの知人の家に言ったらご主人が共和党、奥さんが民主党だと公言して互いに意見が違うのにはびっくりした。

 日曜日は地元にいないので明日は妻と二人で期日前投票に行くことにしている。果たして私たちの場合はどうなのだろうか。

 蝉しぐれ マニフェストと 声競う
 真実は 細き御声に あらわれり

彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。(旧約聖書 イザヤ42・2)

(写真は長野県小諸市の高峰高原で見かけたつりがねそう)

2009年7月 1日 (水)

麻生氏よ、鳩山氏よ、祖父を祖父たらしめよ。

Dscn7610  「おがたはんはエライお人ですな」
 「そうですな」
 母方の祖父と父方の伯父がほぼ半世紀以上前、正月交わしていた会話である。
伯父はその当時滋賀県の伊吹山の麓の某村で助役をしていたように記憶している。一方祖父は山持ちだが、政治とは関係がないお人だったとその当時は思っていた。二人が孫や甥が傍に一緒にお相伴に預かっているのも委細構わず政治談議に興じていたことを今も鮮やかに思い出すことができる。

 祖父と伯父の間に互いに相手に対する尊崇の思いがあっての話だけに幼心にもその会話でうわさされていた「おがたはん」には興味を持たざるを得なかった。しかしその緒方竹虎が吉田茂の後継者として自由党総裁に就任したのも束の間急死した。

 年表で確かめてみると私の中学1年の正月のことで、すでにその前年1955年には保守合同が実現し、初代自民党総裁として民主党総裁鳩山一郎が就任し、自由党総裁であった緒方は総裁代行委員の立場にあったことがわかる。鳩山は政党人、緒方は朝日新聞出身の言論人であったと記憶する。

 一方、近くの神社で若衆の仲間に入れてもらって様々な仕事をしている中で枯葉を燃やしていたときであろうか。その数名いた中でどなたかが遠くを行く人を指して「あれはアカやで」とか言う会話をヒソヒソするのを耳にした。「アカ」が共産党員を指すことは後年知った。(後に大学に入り、その「アカ」から入党を勧められるなどとは想像もしなかった。)

 そしてほぼ同じころだろうか。「ただしんぜよ。ただしんぜよ。しんじるものはすべて、みなすくわれん」という単純なメロディーで外人宣教師が中仙道を歌いながら練り歩き、大人が無視している中、私たち小学生がぞろぞろとその後をキャラメルほしさについて行ったことを思い出す。私の幼友達はさらにその宣教師さんが開く日曜学校に導かれイエス様を知ったが親に反対され離れたと20年ほど前会った時話してくれた。

 また神社の境内の木を一塁ベース三塁ベースに利用してゴム手まりを使って野球をしているときに、青い車で東京からやってきたという方が乗りつけ、みんなで野球もそこそこ余りの珍しさにまわりに群がったのもそのころであった。(町にはそのような車は一台もなかった)

 考えてみると、これらすべては戦後10年以内の田舎の原風景であり、私の政治・社会の原体験であった。そして半世紀以上後、私とほぼ同世代あるいはもう少し後の世代が今の政治の第一線にいらっしゃる。

 連日の麻生さん鳩山さんにまつわる報道を見ると情けなくなる。どうしてこうも政治が劣化したのかと思うからである。緒方氏がなくなり自由党的なものはなくなったように思ったが石橋湛山のような別ルートではあったがやはり東洋経済主筆出身の気骨ある首相が短期間ではあるが在任したときもあった。岸氏はともかく池田氏佐藤氏など私が知らないだけでその当時も様々な金にまつわる腐敗があったかもしれないが、政治家としての信念・メッセージがあったように思う。

 総選挙が近づいている。果たして孫たちを前にして「おがたはんはえらいですな」という会話を大人たちの間で交わすことが出来るのだろうか。先年祖父の遺した日記を整理する機会が与えられた。政治に縁のない祖父と思っていたら、政治に大いにコミットしていたことを知って吃驚した。それこそ村の山林を守るための政治であった。大切なことは多くない。麻生氏よ、鳩山氏よ、祖父を祖父たらしめよ。

拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。主は、その聖座が宮にあり、主はその王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。(旧約聖書 詩篇11・3~4)

(写真は念願かなって初めて写真撮影に成功した庭の餌台に群がる今日の5羽の雀)

2009年5月23日 (土)

大相撲が面白い

Dscn7144  大相撲夏場所14日目が終了した。近来になく、熱戦が続いている。特に横綱と大関がぶつかった昨日今日の戦いは見事であった。

 昨日は朝青龍と琴欧州がぶつかったが、仕切りの時からしてすごかった。もちろん朝青龍のあの勝気満々のポーズだ。相手をにらみつけて土俵の仕切り線の向こうまで支配しかねない勢いだ。とてもやわな人間では相撲は出来ない。喧嘩だ。案の定、朝青龍は2mを越える琴欧州を投げ飛ばした。

 続く結びの一番は白鵬が闘志を朝青龍とは異なり内に秘めての静かな仕切りである。しかし相手は日馬富士、互いに同年だと言うから闘志は満々だ。しかも全勝同士のぶつかりあいだった。結果は日馬富士が何度も振り回し投げに入るのだがそれにも動ぜず白鵬がうまく足を運んで行く。しばし時間が経過する中で、最後は「すそ払い」という足技であえなくも日馬富士が土俵に倒された。

 いずれにしても白鵬と朝青龍の並でない力がものをいったシーンであった。ところが今日はその四者が対戦相手を変えてぶつかったのだ。どう考えても横綱陣の圧倒的な強さで勝負が着くだろうと高を喰っていた。

 ところがどうだろう。大関陣が揃って横綱を打ち破ったのである。最初は白鵬と琴欧州であった。一昔前までは断然琴欧州の方が良かった。しかしいつの間にか片や横綱片や大関と攻守ところを変えてしまった。ところが今日の勝負はその琴欧州が白鵬を投げ倒したのだ。白鵬の側では何らかの作戦ミスがあったのだろう。しかし負けは負けである。次の結びの一番でぶつかる朝青龍と日馬富士にはどんな思いでこの取り組みを見ていたのだろうか。聞くところによると朝青龍は日馬富士をかわいがって稽古をつけてきた相手だが中々歯が立たない相手だったと言う。ところがここ数場所に至って力を徐々に日馬富士がつけてきている。

 仕切りに注目していたが、いつもほどの朝青龍の凄さが感じられなかった。やはり日馬富士に対しては他の力士とちがうのかと一瞬思った。しかしそれも束の間、両者立ち上がり熱戦が展開、朝青龍が再三吊り上げ日馬富士もこれまでと思いきや粘りに粘った。そして最後はよもやの技が決まり横綱朝青龍は横転した。外掛けであった。こんなに土俵の土にまみれている朝青龍を見たのは初めてであった。

 今日は大関が横綱を倒した一日となった。その結果白鵬、日馬富士がそれぞれ一敗で並び朝青龍が二敗で追う。しかも千秋楽は白鵬と朝青龍がぶつかる。朝青龍が勝ち、日馬富士が負けると、三者が二敗で、さらに稀勢の里が勝つともう一人加わる。優勝争いは俄然混沌としてきた。

 「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代もあった。それ以前から相撲はラジオで野球とともに欠かせない娯楽であった。栃錦、若乃花時代から大鵬、柏戸時代にファンであった世代である。近来の大相撲の不祥事もあり、また朝青龍の独走態勢が続きそれほど面白味を感じなくなっていた。ところが今場所は格別だ。

 ギリシャ・ローマ時代にも闘技場で見世物として様々な闘技がなされ人々は見世物としてそれを楽しんだようだ。現代21世紀東洋日本では大相撲がこうして私のような者にまで愛好者を広げている。正々堂々と死力を尽くす、そこに人々を打つものがあるのだろう。果たして夏場所の優勝者は誰なのだろう。それは明日の楽しみとしておいて、パウロが書いたみことばを書きとめておこう。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということも知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(新約聖書 1コリント9・24~25)

(写真は昨日に引き続いて仲良く古利根川に遊歩する二羽の白鳥)

2009年5月 1日 (金)

海外旅行

Dscn6891  にわかに空の出入りが怪しくなってきた。海外旅行もままならない。国際化している現代の象徴的な出来事だ。豚インフルエンザの終息を祈るばかりだ。

 一時代前は海外旅行は船に限られていた。戦後選ばれた日本人が欧米に出かけたのもいずれも船旅であった。森有正が横浜から長い船旅の末、マルセーユに上陸したときの感慨などを認めたのを読んだことがあるし、確か小田実が「何でも見てやろう」と出かけていったのも船が主体ではなかっただろうか。

 中学の国語の教科書に載っていた萩原朔太郎の旅上は今も時折口ずさんで見る好きな詩だ。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

 40年以上前も私自身は海外なんて思いもよらず、この詩を反芻しながら、足利から両毛線で萩原朔太郎の故郷前橋へと車窓によりかかりながら出かけたことを思い出す。汽車(電車)に乗り国内の見知らぬ土地へ出かけるだけで、外国へ行こうなんて思いもよらなかった。かわりに文学作品を通してヨーロッパへの思慕をかきたてていた。それで十分だった。

 そんな私もいつの間にか何回か海外に出かけるようになっている。しかも、1978年初めて東南アジアへ出かけて以来、いずれの旅も「みことば」を分かち合う旅となっている。英文学や仏文学や独文学を通して世界を知ろうとしていた40年以上前には考えもしなかったことである。

 そんな私があこがれてやまなかったフランス・パリを今夕息子が発ち幾日か滞在する予定だ。無事を祈るばかりだ。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(新約聖書 ヨハネ3・16、マルコ16・15)

(写真は古利根川堤下の菜種の群生と群がるみつばち、と行きたいところだがうまく撮れなかった。その代わり空が見えた。この空を人々は今行き来しているのだ。)

2009年3月26日 (木)

侍ジャパン

Dscn6480  標題は奇妙な日本語だ。しかしそれを物ともしない今日この頃の日本国内の熱狂振りだ。当日、私は吉祥寺にいて久しぶりに孫たちと一緒にレストランに入ったが、隣のテーブルにはおばさんたち5名がワンセグをテーブルにおいて9回表裏の攻防に固唾を飲んでおられた。もはや食べ物は完全にお預け、野球評論家が5人もいるようで、舌を巻かざるを得ないが思わず吹き出しそうになった。球筋まで話し、仙ちゃん(星野監督のこと)まで引っ張り出されてくるのだから。どうも同点になったらしいが、レストランを出、孫たちとも別れ、どうなったのか知る由もなく、車で吉祥寺駅近くで下ろしてもらった。某カメラ店の前だった。

 当然続きがどうなったか知りたい。それとなく店内をうかがうが、実況中継をしている風がない。てっきり試合が終わった、しかも敗戦なのだろうかと妻に語りかけた。ところが、反対側の信号待ちの場所に人々が黒山の人だかりになっているのが見えた。某旅行代理店の店頭のテレビに人々が釘付けになっているのが見える。時折歓声が湧き上がる。私たちも急いで急行する。人々は行き交う車も物かわ車道にはみ出している。10回裏の韓国の攻撃の場面だった。ダルビッシュの最後の一球に打者の一振りが空を切ると途端に拍手が沸きあがった。隣の家内も拍手している。私だけが白を切っている。嫌な性格だが・・・

 その後はご存知のテレビ・新聞の報道だ。何度もその場面を見せつけられた。イチローが決勝打を放ったことを知ったのは家に帰ってきてからだった。もし日本が敗れていたらと思うとゾッとする。このためにもう一人の小沢一郎氏のニュースはふっとんだとも言われたが、余りの日本のニュースの暗さに一人一人が日本の野球選手の活躍で鬱憤を晴らした形になった。イチローの短期間のシリーズで低迷を続けた中でのセリフも聞かせるものがあった。聖書の次のことばをかみしめる。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。(新約聖書 1コリント9・24)

 最近読んでいる『信仰の栄冠をめざして』(エーリッヒ・ザウアー著長谷川真訳)によると、このパウロの言葉はまさしく、紀元一世紀のローマ帝国内の様々な国家祭典であった運動競技の実体験の中で語られているという。2009年「ワールド・・・」という形でにわかに日本国内を席巻した感のあるスポーツ祭典も2000年前と何ら変わるところはないのではないだろうか。問われているのはキリスト者が人々の救いのためにいかに汗を流しているかである。

(写真の場面は映画好きの方ならご存知のシーンであろう。実話に基づいたこの映画も栄冠にいたる一人のキリスト者の歩みを描いている。)

2009年3月20日 (金)

マダガスカルの政変

Dscn6414  (以下の文章は昨日メールにて届いたものです。日本の新聞報道でもマダガスカルの政変の報道がなされています。信仰者がこのようなときどんな態度を取るべきか、各人が主イエス様に直接お伺いして決めるべき事がらですが、現地のウィクリフ宣教師の立場にある方からの祈りの要請です。私は現地にいるものでありませんし判断できる情報を知っているわけではありませんが一つの情報として掲載します。)

 マダガスカルの政情のためにお祈り下さい。私たちの次回の翻訳ワークショップは4月29日から5月13日までの日程が組まれていましたが、およそ6週間前に政情不安が始まりました。首都の前市長が大統領権限の移譲を公けにし、国民規模の抗議とストライキを呼びかけ始めたからです。そういうわけで私たちは事態をより詳細に追跡調査することを始めて、今後この事態がどの方向に向かうかがはっきりするまでは航空券を購入しないことにしました。

 政情不安は先週末まで続きましたのでワークショップは正式に延期されることになりました。今週事態は確実に過熱化しその結果政変にいたりましたのでおそらくこの決定は正しかったでしょう。昨日最近前市長側についた軍隊が大統領宮殿に行軍し、大統領は辞任しました。

 新政権が国民に誠実な関心を示して政治に当たることができるようお祈り下さい。私は前大統領は本当の信者でありマダガスカルの重要な教会組織の一つの指導者であると信じています。と言いますのはほとんど国民の利害を考慮していたからです。それに対して前市長はカリスマ性のある青年(34歳で、マダガスカル憲法によると大統領就任の年齢には満たないのですが)で、以前は芸能人でディスク・ジョッキーを担当していた人が政治家に転身したのです。私個人の印象では彼はほとんど民主的なプロセスには注意を示さないように思いますし、彼のリーダーシップにより政治が良くなると考えるのは難しいように思います。けれども神様がこれらの新しい指導者たちに国民の最善のために良い決定をすることができるようにしてくださるように、もしそうでなければ彼らがどういう者であるかが明らかになり政治から退くことができるようにしてくださるようにお祈り下さい。

 また良くまとまってきた教会がこれらのできごと(政治的党派心)をもろに受けて分裂させられることのないようにお祈り下さい。教会が正しい真理の側に立ち、それができないようであるなら政治的争論に巻き込まれないように、お祈り下さい。

(昨日送られて来た『Radke prayer requests』から独断と偏見で訳しておりますのでとんでもない誤訳をしている可能性があります。悪しからずご了承下さい。)

見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。・・・すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとっては、むなしく形もないものとみなされる。(旧約聖書 イザヤ40・15、17)

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。(新約聖書 ローマ13・1)

(写真は今日の私の田舎の風景です。今日は祝日でこの隣家のお宅はずっと永年大切に「日の丸」を出しています。近寄って見ましたら、新しい布製でした。私のことをいつも心配してくれる高校の先輩であり、小学生のとき勉強を教えてもらった人です。いずこにあろうとも、国民が安心して生活できるように政治が機能してほしいと願わずにはおれません。マダガスカルの人々に真の平和が与えられますように。)

2009年2月 5日 (木)

再びアメリカ大統領の重責について

Dscn6025  手許にあるアメリカ人の手になる本で以下の記事を見つけた。参考のために写す。

 説教者や愛国的演説家は、よく蝶々と「建国の祖先たちの信仰」と言うけれど、私たちの多くは祖先の信仰について、どれだけのことを知っているであろうか。第二メイフラワー号(もとの小帆船の複製)の甲板に立ったことのある人は誰でも、十七世紀のアメリカへの航海がいかに恐ろしいものであったかに気づくであろう。あの人々が最初のメイフラワーやその他の帆船でアメリカへ渡ったのは、本当にやむにやまれぬ気持ちからであった。自己の利害を越えた、強い動機があったに相違ない。移民たちの、不安に戦き恐怖にうたれた有様は、彼らの冒険精神と共に、種々の文書に表われて残っている。それはメイフラワー契約、コネチカット基本規則(1639年)、ロードアイランド植民憲章、1651年ジェームズ・タウンで定められた条項、その他それぞれの目的を宣言した文書の中に表われている。

 1787年の夏、フィラデルフィアの憲法会議では活発な討論が行われていた。会議が長びき、みんなうんざりしてきた。五月も過ぎ、六月に入っても結論が出ない。意見の対立が甚だしく、果てしない討論が続いて、会議は危機に来た。そのとき集会の中の最長老であるベンジャミン・フランクリンが立ち上がって、大胆で熱烈な演説をした。

 「議長、四、五週間も熱心に討議をしてなお一向に進行しないのは・・・思うに人間の理解が不完全なことの悲しむべき証拠であろう。われわれは、実際に政治の知恵に欠けているのを感じているようだ。知恵を捜して走り回っている・・・

 「この状況で・・・議長、われわれは今まで一度も心を謙虚にして光なる父に訴え、われわれの理解を照らしてもらうことを考えなかったのはどうしたことであろうか。英国との戦いの初め、われわれは危難を感じて、この部屋で毎日の祈りを捧げた。われわれの祈りは、議長・・・見事に答えられた・・・今われわれは、力強いわれらの味方である神を忘れたのだろうか。あるいはわれわれは、もはや神の助力を必要としないと考えているのだろうか。」

 ここで憲法会議は神の前に跪いて祈った―もららされた結果は、時の試練に耐えるものとなったのであった。

 ジョージ・ワシントンは毎日のひと時を一人自分の部屋に籠り、祈りで始め祈りで終わるのを習慣にしていた。彼にとってそれがどんなに重要なことであったかは、彼の公的演説のどれにも現われている。「合衆国民ほど、人事を導く神の見えざる手を知り、そして讃える国民は他にない。この独立国家の性格を造り上げた一歩一歩は、見事な摂理の手を象徴していると思われる・・・。」

(『愛はいずこに』G.マーシャル著堀田勝郎訳「無力の力」158~159頁より引用)

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(新約聖書 ヤコブ1・5)

(写真は今やあちこちで咲き誇っている水仙。下の方にパンジーもあります。牧野図鑑によるとキズイセンというものもあり、こちらは南ヨーロッパ原産で日本には天保13年〔1842年〕に入って来たとある。アメリカ人が日本にやってくるほんの少し前だ。今度はキズイセンを見つけたい。)

2009年1月26日 (月)

アメリカ大統領の重責

Dscn5966_2  オバマ大統領の就任は日本でも多くの人々の関心事であった。しかし彼自身アメリカの現状の困難さを良く心得ていて、やたらと演説で大向こうをうならせるのでなく、その演説は堅実なものに終始したのではないだろうか。もちろん政治家として随所で米国の過去の栄光を想起させて国民に対して不退転の一致団結を求めているように私には聞こえた。

 ちょうど100年前、内村鑑三はこの1月25日という日付で『檪林(らくりん)集』というアメリカの詩人ウオルト・ホイットマンの人となりを紹介する本を上梓している。そこには内村のアンビバレントなアメリカ観が披瀝されているように思えてならなかった。本来のアメリカが持つ生き生きとした神信仰の遺産への期待と一方形式に流れ物質文明に堕す感のあるアメリカへの批判がその内容であったからである。そうして彼の理想とするアメリカを守るものとして、一人の詩人ホイットマンに自分の思いを託しているかの感さえする作品である。

 しかし、ホイットマンには主イエス様を信じ従う信仰はない。内村が紹介している「詩」から判断しても漠然とした汎神論的な神信仰にすぎないように私には思えてならない。内村は当時の確信を失った米国キリスト教会を批判する余り(その底意には恐らく日本においてアメリカ・ミッションの影響下にあった既成のキリスト教会批判があったと思うが)木で竹を接ぐようにホイットマン礼賛論を展開しているのではないだろうか。当時内村は49歳である。内村とて人の子である。肉なる心の思いが優先されての結果でなかったのでなかろうか。この本の冒頭で「地と人」と題して彼は次のように述べている。

 米国は大国である。太平洋より大西洋まで、ミシシピ河の源よりその河口まで、広さ300万平方マイル、その中に世界最大の原野がある、最大の河がある、最大の湖水がある、最大の瀑布がある、そのほかなお最大と称すべきものが少なくない、米国は多くの点において世界最大の国である。
 もし地がある如く人があるとならば米国は大人物を産すべき国である、ナイヤガラの瀑が人となって轟く者、ミシシピの流れが人となって水注ぐ者、ロッキー山脈の如く高き者、チェサピーク湾の如く深き人物を産すべきである、そうして米国は今日までのその短き歴史において多くの世界的人物を生じた、政治家としてはワシントン、ジェファソン、フランクリン、リンコルン、宗教家としてはジョナサン・エドワード、文士としてはエマソン、トロー、これ皆世界第一流の人物である、米国が世界に向かって誇るべきものはその養豚の群れではない、その鋼鉄と銑鉄とではない、その蜘蛛の巣の如き鉄道ではない、誠にその産せし人物である、それ、彼らによりて唱えられし自由である、それ彼らによりて施されし人道である、(中略)米国の誇るべき者はそのフイリピン群島にあらずしてそのエマソン集である、そのジョナサン・エドワードの神学論である、米国の偉大なるはその沃饒なる原野においてあらずして、その無私なる政治家において在る、その宏闊なる文士においてある、その神と交わる最も深き宗教家においてある、(中略)吾人は米国の産せし人物を羨む、そのワシントン府の金庫に堆積さるる錆腐る金と銀とを羨まない、前なる者は永久の宝である、後なる者は塵芥と糞土である。
(『内村鑑三全集16』170頁)

 100年後の今日も相対的に見て、日本は内村と同じようにアンビバレントな感情に支配されながらも、アメリカに対する希望を託している点では変わりはないのではないだろうか。そんなことを思っているときに、たまたま今読んでいる『愛はいずこに』というキャサリン・マーシャルの本の訳者あとがきに、彼女が最も影響を受けた夫君のピーター・マーシャル氏についての次のエピソードが紹介されていた。

 マーシャル師は、若くしてスコットランドからアメリカへ渡って来た人で、当時すでに熱烈な信仰と説教で世間の注目を惹いていた。(中略)それからやがてアメリカ上院付牧師に任命せられたのであったが、上院のチャペルで議員たちの礼拝に「われらの父よ、懺悔いたします。私どもはあなたの必要なことを知りながら、傲慢にもあなたを差し置いて自分勝手なことに狂奔し、小さな事をも大仰に述べ立てて騒ぎまわっています。どうかこの私どもをお赦し下さい」と、大胆率直な言葉をささげる人であった。アメリカで最も尊敬され、最も重要な職責にある上院議員のための祈りに、このような言葉が述べられるとは全く前代未聞のことであって、大きな反響を呼んだのであった・・・(『愛はいずこへ』キャサリン・マーシャル著堀田勝郎訳260頁より)

 これほどアメリカの精神の根底にあるものの一つを明らかに示したものはないのではないだろうか。いかなる難局にあろうとも、一人一人が主イエス様に従う信仰が、問題を解決する場合に鍵を握っていると私は思う。大統領と言えども例外でない。その点オバマ氏はリベラルな政治家だと聞いているし、演説中の聖書に触れた箇所は恐らく1コリント13・11のchildish(子どもじみた)を指しており、このことばをもって国家としての米国の若さを戒めたのだろうが、前後の聖書の文脈からして果たして適切だったのだろうか。今後のオバマ大統領の言動を注視したい。

わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。・・・善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。(旧約聖書 1列王記3・7~9)

2008年11月24日 (月)

知識の空しさ パスカル

Dscn5442  (昨日は、常陸太田まで出かけました。車中、新約聖書の中にあるペテロの書いた手紙に読み耽りました。この手紙には「苦しみ」(苦難、試練をふくめて)ということばが20前後頻出していることに改めて気づかされました。苦しみは「キリストの苦難」にすべてが凝集されています。最愛のお父様お母様を理不尽な刃で失われたご子息ご家族をはじめご親族の皆様の苦しみを思わずにはおれません。そんなことを考えながら今朝『パンセ』を手にしていましたら、以下の文章が目につきました。)

 外面的な事柄について知識を持っていても、苦難の場合に、自分がどう生きたらいいかを知らぬことのなぐさめにはならないであろう。しかし、いかに生くべきかを知っているならば、外面的な知識をなにも持たなくても、いつもわたしのなぐさめになるであろう。

<訳注> パスカルの死後(1663年)に出版された科学論文集『流体の平衡について』の序文において、執筆者は次のように述べている。
 「かれ(パスカル)は、このとき(1653年)以来、人間の精神にふさわしい対象はただ宗教だけであり、人間が自分を幸福にしてくれる力のないこのようなものを、ひたすら熱心に求めてやまないのは、とりもなおさず、罪のため人間がおとしめられている堕落のさまを示す証拠のひとつだと信じていました。そして、この点についていつもこんなふうにいっていました。このような知識をいくら持っていても、苦難の場合になぐさめにならないが、キリスト教の真理を知っているなら、どんな場合にも、苦難のとき、こうした知識をなにも持たぬときにも、なぐさめになるだろうと」。

(『パスカル著作集Ⅵ』 田辺保全訳 教文館58頁より)

(「キリスト教の真理」とは、ペテロが手紙の中で次のように書いていることばではないかと思わされました。

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。

ペテロとは十字架の場面でイエス様を裏切った人です。その彼が立ち直ってのち書いたのが上のことばでした。イエスの十字架の苦しみこそ、苦難、試練にあっているものに対するなぐさめのメッセージであったことをペテロは誰よりも知っていたから、「あなたがた」とも言い、「私たちの罪」と言ったのではないでしょうか。科学者パスカルも自己のうちに潜む罪の深淵を知っていたればこそ、このような短い断片を書きとめたのではないでしょうか。元高官の犠牲死のかなたに「キリストの苦難」を見るとき、傷つき苦しめる者すべての人に対して主イエス様からの癒しがあることを覚えたいものです。今日の写真は昨日の常陸太田・佐竹団地の街路風景です。)

2008年8月28日 (木)

憎悪の連鎖を超えて

Dscn4578 昨夕、久しぶりに古利根川に向かった。さといも畑が目の前に広がって見えた。昔、稲刈りで汗を流した後、たんぼのあぜ道に腰を降ろし、老いも若きもみんなして「さといも」「こんにゃく」「竹輪」をつついた一時が忘れられない。戦後、少しずつではあるが、食べる物が行き渡り始めた頃の事だ。いよいよ秋だ。土手の上を人々が思い思いに歩いている。犬の姿も見える。その歩みもどことなく軽やかに見える。日本、2008年、一地方都市の初秋の風景である。

 こんな緑したたる土地を、と遠くアフガンに志願して出かけた青年が亡くなった。それも身に銃痕数発を受けてである。海外の生活は五年に及ぶと言う。日本には60歳と55歳のご両親を残してである。海外にいると言うだけで、イザと言う時にも日本に帰れない。そんな切実な思いをもって現地で溶け込んで農業に勤しんでおられたのに。何ともお慰めのしようが無い。

 二度にわたる前世紀の「世界大戦」という戦争は終わった。しかし依然として人々の貧困に起因する憎しみ、憎悪の犠牲となって倒れてゆく人が後を立たない。冷戦が終了して、1980年代から局地戦争が増し、拉致、テロ行為が続く。憎悪の連鎖である。次のみことばの数々は私たちにとって何の慰めにもならないことばだろうか。

主は国々の間をさばき、
多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことを習わない。

来たれ。ヤコブ(人を押しのける者)の家よ。
私たちも主の光に歩もう。
(旧約聖書 イザヤ書2・4~5)

まことに、主のことばは正しく、
そのわざはことごとく真実である。
主は正義と公正を愛される。
地は主の恵みに満ちている。
(旧約聖書 詩篇33・4~5)

捕えられて殺されようとする者を救い出し、
虐殺されようとする貧困者を助け出せ。
(旧約聖書 箴言24・11)

神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださった・・・
(新約聖書 コロサイ1・19~20)

2008年8月26日 (火)

北京奥林匹克閉会・K家記念会

Dscn4574  北京オリンピックが閉会した。幾つかのドラマもあり、北島選手の二冠制覇、ソフト女子の金メタル獲得などと私たちの心を沸き立たせるできごともたくさんあった。開会式を見はぐったので、閉会式はテレビでじっくり見させていただいた。たくさんの人が動員され一糸乱れない演技と照明をフルに生かしながら演出される曲芸のパフォーマンスには圧倒された。と、同時に中央の人工的な塔から旧約聖書のバベルの塔を連想せずにはおれなかった。確かに各国選手が入り乱れ、一つの世界を悲願するのは五輪の永遠の願いであろう。そして誰しもそれに異議を唱える人はいないだろう。

 しかし、北京オリンピックが様々な国内の少数民族、貧困者の声を十分吸い上げて実施できたものであろうかは疑いがある。新聞報道によると合計4兆5千億円にわたる経費を投入したということだ(東京新聞)。日本経済新聞の8月の「履歴書」記事には電通最高顧問の成田氏の回顧録を載せているが、それによるとオリンピックはロス大会以来、広告を無視しては実現不可能な世紀の大事業であることがわかる。だから利権も絡み、決してきれいごとでは済まされない世界であり、ここにも現代社会の大きな縮図があると言える。

 私は先週土曜日長野県御代田で開かれた知人のFさんの奥様のご遺族の納骨式兼記念会に出席させたいただいた。そこで話をされたベックさんはこのオリンピックに触れ、金メダルは参加者の全員に上げれば良いのにと言われた。金メダルを得るためにどれだけ多くの努力がなされていることか。それだけでなく、ドーピング検査に引っかかる選手の存在も指摘される。そのようにして競う技の空しさよりも、参加する全員がそれぞれベストを尽くしていることがどんなに大切なことであるかということに注目しての御意見だったように思う。

 Fさんがほぼ30年前主イエス様を受け入れられ、それが機縁で奥様が受け入れられ、奥様のお父様お母様も晩年にはっきりとした信仰告白があった。そこには一方的な主の御憐れみが刻印されていた。そして昨年五月に召されたお母様の召天一年を記念してこの時期に遠く岐阜県御嵩から親族をお招きしてのK家の納骨式兼記念会となった。ここにはもはやドーピングの疑いに煩わされることなく、十字架のイエス様・復活のイエス様を仰ぎ見て信じていただかれた御国の冠(金メダル)の喜びがあった。

 翌日日曜日の北京オリンピック閉会式の長時間に及ぶ演技を見、K家の記念会を想いながら、地上における一人一人のゴールを思わされた。主イエス様を信ずる者には、ごまかすことのできないまことの審判に耐え得る罪と死の贖いが保障されている。もちろんここではドーピング疑惑は通用しない。しかし、信ずる者にとって「人生」とは、何の差別もなく完全に用意されている栄冠を仰ぎ見て走り抜くレースであることを改めて考えさせられる。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。(新約聖書 2テモテ4・7~8)

(写真はフユアオイ 御代田 08. 8.25)

2008年8月15日 (金)

「大本営発表」

Dscn4495  と、言っても、戦後63年、至って小市民的な話題だ。ヒヨドリの雛は何と三羽いたからだ。てっきり一羽とばかり思っていたのに。親鳥の動きが風雲急を告げると昨日記したが、それはそのはず、三羽もいれば餌をあげるのも大変だ。
 ヒヨドリの囀りは雀と勿論違うが、私たち夫婦はお蔭でその飛来に人一倍敏感になってきた。しかも二羽の内一羽は護衛で他の一羽が餌をくわえているとばかり思っていたが、近くで「偵察」して見ると、しっかりくちばしの先端で餌をくわえながら残りの隙間から叫ぶのだ。道理であの特徴ある叫びになるのだし、一回に一粒で一羽の雛にしか渡らないのだから、その労力たるや大変である。暑さをものともせずせっせと餌を運んでいるヒヨドリに親の恩を思う。

 往時、人々はB29の飛来に耳をそばだてて、防空壕へと駆け込んだはずである。田舎である彦根の私の家にも家の庭に壕をつくったと母から聞いたことがある。あの辺では八日市飛行場があり彦根には近江絹糸はじめ各種工場があり、急襲の対象になったはずである。
 このような戦争体験は昭和十八年生まれで、Y家の跡取りとなった私自身の存在とかかわる根幹である。もし母の先夫が戦死しなければY家は安泰で、私の父は母と結婚しなかっただろうし、一粒種の私は存在しなかったことになるからだ。母は嫁ぎ先のY家を守るために父を養子として迎えたのだ。このような経験は全国各地で大なり小なり見られたのではないだろうか。戦争の傷跡は否応なしにそれぞれの家庭に刻まれている。
 「大本営発表」とはこのような戦中の社会において人々の狂気をリードした張本人であった。確かな事実に基づく正しい判断こそ、戦中の「負」の社会から、私たちが国家再生の歴史の中で学んできたものである。

 しかし、果たして今日どうだろうか。昨日の東京新聞の夕刊の根津朝彦氏の『新聞の「8・15」社説と日本の加害責任』論考によると、今日は加害忘却期、加害模索期、加害定着期を経て加害認識流動期に入っていると言う。戦後ジャーナリズムはかつての「大本営発表」の軍部に代替する位置にいる。読者である私たちはどの程度そのことを意識しているだろうか。
 昨日は北島康介さんの連続二冠のニュースに沸いた。私はそのニュースを尻目に小市民的なこのヒヨドリの一挙手一投足に一喜一憂していた。幸い今のところ戦間期のあの熱狂に支配されることはない。私の「大本営発表」が空っぽになった(と思い込んだ)ヒヨドリの巣から始まり、今や三羽の雛の成長へと話題が転じてきてしまった。この上は小市民的と言われても巣立ちまでしっかり見届けたい。秋風が吹くころ日本政界にも変動が見られるかもしれない。そのことからも目を離さないでいたい。

 聖書は何時も事実を直視するようにと勧めている唯一の書物でもある。敗戦記念日に当たり、「平和」とは何か。根源のメッセージに耳を澄ませるものでありたい。

神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったのです。(新約聖書 コロサイ1・19~20)

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(新約聖書 1コリント15・19~20)

(写真は「さんしゅゆ」に作られた巣の中に新しく誕生したヒヨドリの雛たち。この写真では二羽のくちばしが確認できる。)

2008年8月 9日 (土)

北京奥林匹克開催

Dscn4437  昨日から北京オリンピックが始まった。残念ながら私たちは終日青春18切符(JRの一日乗り放題の切符、5枚一式で11500円)を利用して電車に乗ってしまったのでその様子をテレビで確かめられなかった。

 今朝の日経の春秋氏が芥川の中国見聞記ー北京は「都会」でなく、「大森林」だと断ずるーを枕に話を進めていた。芥川が伝えた北京は清朝滅亡から10年後の状況だったと言う。恐らくオリンピックのため様々な突貫工事が進められたであろう北京の町並みにはそれでも今も槐(えんじゅ)の木々が望見できるようだ。筆者の今の中国への願いが伝わってきた。

 私もこの機会に、もっとも近い国である中国、かつて日本のお手本であった中国、戦争で様々な被害を与えてしまった中国、工業発展とともに日夜日本に様々な影響を与え続けている中国について考えたい。

 ところで今朝生家の地高宮(滋賀県彦根市高宮町)で目覚め、最初に眺めさせられたのは、何と隣地の野原高く電線に止まり、さえずる一羽の鳥であった。声からするとまごうことなきヒヨドリであった。こんな時こそあの父譲りの双眼鏡が役に立つというものだ。本来この地にあったはずなのに。まさか春日部からこの地に再び戻すわけにはいかない。本当は目を離せなかったヒヨドリが私たちの後を追って500キロメートル西下したと言いたいのだが。

 目を離せないのはヒヨドリだけでない。終日乗り合わせた車内でも様々な人々と出会った。聞くともなく聞いていると、皆様々な目的を持って旅をしておられるのがわかる。そして自分の考えている世界も客観視でき、今生かされている意味について改めて考えさせられた。

 ニュースは新たな事象をを次々と追っかけて行く。私のブログもまたそうだ。でも本当に目を離せない事柄から目をそらしていたら何になろう。そうではなく、なくてならないもの、それが何かをつねに忘れない者でありたい。

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。・・・あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶせられました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。・・・私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。(旧約聖書 詩篇8・3~9)

(写真はランタナの花の蜜を吸う蝶、華麗なこと「北京オリンピック」に劣らない。これぞ創造の神秘。こちらに出がける直前、庭で撮影)

2008年7月12日 (土)

K氏の遺稿

Dscf2081  縁あって、フィリピンで戦死された、K氏の遺稿を昨年末から見させていただいている。数10通の奥様に宛てた手紙が中心だが、改めて戦争時における人の生き方を思わされた。

 出征前の奥様への遺言とも言うべきくだりでは「向こうに行ってからは、軍人として又部隊としての場合は任務の命ずる所、命は惜しまぬ覚悟だが、一般人としては絶対に死に急ぎはせぬ、生きられる準備もやっと完了した」と誠に複雑な心境を吐露しておられる。

 平和時には考えられない、国家が命を要求し、それに人々は唯々諾々と従ってきた時代があったのだ。その方々がそれぞれ今「後期高齢者」の最高齢者の中にいらっしゃるし、そうでなくとも何らかの形で戦争の被害を受けてきた世代の方々ばかりである。私(たち)はそのことをどれだけ意識しているだろうか。

 K氏は昭和15年、ロンドンから七十日の船旅の後、上海から帰国を目前にして榛名丸船上にて知人に向けて次のように書いておられる。

 「英国の称える自由主義とデモクラシーは帝国主義と恫喝外交に換わって居り、フランスの「自由」は国をはなれた国民の自己中心主義に換わっていた事が立証されました。日本でも無気力な政党が解消して所謂新体制が声明されました。戦○国側国家に似た体制となるであろう事と思います。世界的な此の変転は若冠私如きにも大きな問題でありまして、印度、アフリカ、馬来等今日独立能力なきと云わるる民族を見るとき日本を斯くのごとくあらしめてはならないと思う心を抑え得ませんでした。」「地上の生活が凡てではなく真の国籍のあるところに霊を憩わしめねばならぬとの思いに返るのは易しい事ではありませんでしたが、有難い事に聖書は小さな憂いや理屈を超えて文句なしに服従と生ける悦びを教えてくれました。」

 昨日はニュースの「根源」ということを少し考えたが、このK氏のように生き死にの現場で、真の国籍を思うて、世界情勢の渦の中で微動だにしない姿勢を思わされた。

私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。( 新約聖書 ピリピ人への手紙 32021 )

(今日の写真はドイツから見たボーデン湖 20076月撮影)

2008年7月11日 (金)

グッドニュースを身に受けて

244  今日の箇所は正直言って載せたくなかった。確かに現在、犯罪は極悪化しているだろう。しかし、この記事と先ごろあった隣室の女性を殺めてバラバラにした事件と本質的に違いは無いのではなかろうか。

 秋葉原の事件も、母親との関係だけを見ると、私と母親との関係とのある程度の親近性も覚えた。また『パンセ』の第一篇「神無き人間の悲惨さ」のパラグラフを読んでいたとき、そこには事件の犯人の心を描いたのではないかとさえ思える叙述を見た。

 思うに、人の心は主イエス様にご支配していただかなければ真の幸福は無い。フランス人パスカルは今から350年前わずか39歳で夭折する中で、その真理を体験し『パンセ』第二篇で「神とともなる人間の幸福」とはっきり断言した。

 今日、毎日のように様々な事件を報道しなければならないニュースキャスターの方々を思うとお気の毒になる。それとともに聖書にはグッドニュースが満載してあり、その根源がどこにあるかをどれほど私は自覚しているか今問われている。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(新約聖書 ローマ人への手紙 6・23)

 好地由太郎氏は、さてどのようにしてこの主の賜物を受け取られるか、忍耐をもってお読みいただければ幸いである。

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