D.L.Moody

2009年3月24日 (火)

第1章 東ノースフィールド(2)

Dscn6456spring_has_come  彼はつましい家の出であった。教育も受けられず、お金にも恵まれず、友達もいない田舎の自然児として育った。しかし彼は鋭い観察力を持ち、持ち前のウイットやユーモアの感覚を身につけ、へこたれることのない気持ちを持っていた。若い時ボストンで商売を始め、しばらくして、シカゴでその仕事を続けた。ところが日曜学校とクリスチャン連盟の活動への関心が大変大きくなり夢中になったので、すぐに靴売りの仕事を捨て、全生涯をたましいを救うためにささげた※。彼は牧師に任命されることはなかったが、数年のうちにこの国で最も大きなものの一つとなった教会を設立した。

 彼がまだほとんどアメリカで知られていなかった間、英国で始められた一連の奉仕が発展して2年間続く伝道キャンペーンとなった。その伝道キャンペーンで英国のあらゆる主要都市へと招かれて行き、当代のもっとも目立つ伝道集会の指導者となった。彼はイラ・D・サンキーの働きに助けられた。サンキーは大きな集会の音楽を指揮し、聖歌を独唱し、歌を通して集まった人々に福音を伝えた。

 アメリカに戻ってムーデー氏は熱狂的に歓迎され、ブルックリン、フィラデルフィア、ニューヨーク市、シカゴそれにボストンでより大きな記念すべき伝道キャンペーンに参加した。これらが一世代途絶えることなく続き伝道経験の基礎固めになった。この間ムーデーはブリテン島での二つの大きな一連の集会のために戻り、アメリカの主な中心地では広範囲の聴衆に語った。彼のメッセージは霊的で、彼の精力は疲れることなく、方法も賢明で評判も消えることがなかった。

 彼の人格の影響力は親しい人々の集まりだけでなく、他の人たちにも及んでいった。毎日の新聞や安いブックレットで彼の説教が頒布されていった。「ムーデーとサンキー」の賛美歌は大陸のあらゆる町々や小村落に、また地球上のあらゆる国々で歌われた。リバイバルの精神は起こされ活発化した。他の多くの伝道者たちも連れて来られ、数えきれない教会の活動が強化されていった。

 このような彼の説教者としての働きに加えて、彼の影響力により彼が設立した教育機関や彼のリーダーシップのもとで開催されたキリスト者の働き人のための集まりは強化され、さらにその働きは永続的なものとなった。これまで認められてきたように何百万人という人がムーデーの生活と働きから励ましと助けを与えられたことは疑いもなく本当である。

 彼が故郷とした村、マサチューセッツ州の東ノースフィールドは他の村にない特質を持つことになった。その村はこのまことに有名な人物の生誕地、埋葬地であるだけでなく、彼の選んだ居住地となり、重要で意義深い活動の舞台となり、長く続いた影響の中心地となったからである。

 デー・エル・ムーデーはこの地で1837年2月5日に生まれ、この地で1899年12月26日埋葬された。この地の彼の家に彼は、長い骨の折れる仕事を している間中、戻ることを切望し、英国とアメリカの至る所に行かねばならない伝道キャンペーンで必要とされる強さを取り戻すことを望んだ。ここではまた夏期聖書集会を指導し全世界に影響を伸展することになる教育機関を設立した。

(D.L.Moody by C.R.Erdman 12~14頁参照。この※の文章を見ると、まさしくイエス様がペテロたちを召された時と同じことがこのムーデーにも起こったのだということがわかる。「イエスが・・・ご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従った。」〔新約聖書 マタイ4・19〕。写真はsprin has comeの現代21世紀の靴屋さんの店頭。ムーデーは19世紀の靴屋さんだった。)

2009年3月23日 (月)

第1章 東ノースフィールド(1)

Dscn6376  デー・エル・ムーデーは、一世代前の人だが、その生涯を閉じる時、世界で最も著名でかつ影響力のある伝道者であった。彼は現代のいかなる説教者よりも多くの聴衆に語りかけ、多くの一人一人とともに祈り、訴え、多くのキリスト回心者を生み出し、伝道活動が恒久的に行なえるように様々な分野の基礎を築き上げた。

 旧約聖書でエリヤは竜巻に乗ってその働きを閉じた。この現代の預言者は大変勇猛に働き、熱意を持って語り、何回もイギリスとアメリカを縦断したが、全生涯を、終わることのない台風のように過した。しかし彼の内面は静かで、家族と友人に囲まれ静かな家庭にいる時ほど幸せなことはなかった。

 彼は偉大な人間であった。小さな子どもを可愛がり、家畜や夏スキー、それに木々の香りや小鳥たちのさえずりを愛し、穀物が熟れてゆくのを見るのを楽しんだ。彼は歌えなかったが、心の中には音楽があり、目は喜びで輝いており、不思議な情愛を備えていた。服装は無骨でない程度に質素で、所作は機敏だった。文法は時々間違っており、その態度はぶっきらぼうであった。しかし婦人たちも学者も貴族も彼を称賛した。声は高くもなく魅力的な声でもなかったが、話しの調子は聴衆たちの心をつかんで離さないものがあった。経験が彼の教師であり、聖書は彼の教科書であった。彼は大学に行ったことはなかったが、あらゆる階層の無知な人や文化の聴衆を魅了した。何人かの人たちには反感を買い、他の人々にも軽蔑されたり多くの人々をいらいらさせたりもしたが、彼を知っているすべての人は彼の誠実さを信用し、その成功を喜んだ。

 彼は鋭い人だった。間違いを犯してもそれらを二度と繰り返すことはなかった。彼はバーゲン商品で騙されもしなかったがお金を乞うて叩かれるということもなかった。彼は通常最高度の常識を表わした。彼は人の中の人であり、仲間を大切にしたが、神とともに歩み、ある日「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」※。何千人という人がもはや彼の顔を見ることができないと知って嘆き悲しんだ。

 厳格さ、たゆまない力、情熱、恐れない心。やさしさ、謙遜、寛大さ。いずれも自らのメッセージの真実さや自らの使命の真実性を確信することによってもたらされたものである。数えられない人々の生涯がキリスト信仰の変えうる力を彼によって体験することができた。

(『D.L.Moody』by C.R.Erdman 11~12頁参照。※創世記5・24による。)

(写真はこの本にある数葉の写真の一つです。この本はとある古本屋で購入したものですが発行年が書いていませんでした。多分1930年前後のものと思われます。邦語文献では著者についての紹介がなく、ネットで調べるとプリンストン神学校で1925年実践神学の先生であったことがわかる程度です。その時代のプリンストン神学校が果たして聖書について正しい態度を取っていたか私にはわかりません。だからこれから展開する文章だけに注目してお読み下さり、ご意見がありますればお聞かせ下さい。ただし年代が今話題の世界恐慌の前後であろうと思いますのでその点だけは注意してお読み下されば幸いです。)

2009年3月18日 (水)

聖書に養われよ ムーデー

Dscn6402  つねに成長し、活動する人はつねに聖書に養われる人である。しかし困難に際して、たちまち疑いを抱き、失敗する人はつねに聖書を開かず、これを研究した経験のない人である。キリスト者の信仰は自分が昔から聞いていたものでないと言うのはこのような人物である。またそれは私たちが求めていたものとちがうと言い張るのはこのような人物である。こういう心得違いをし、躓いてしまい、二度と起き上がることができないのは、結局主がこうしなさいということを行なわないからである。このような人が神のみことばの研究を怠っている者と言える。

 もし聖書を研究している人なら、このような惨めな者にはならず、俗世間に埋没して、すっかり神から離れてしまう浮浪者の如き者とはならないであろう。主から与えられた新しいいのちを大切にしない人、聖書に養われることを忘れた人はその霊性が弱くなり、飢えてしまい、障害や誘惑に抗することは不可能である。神によって新しいいのちをいただいた人は神なしには栄えることはないと知らなければならない。

 私は40年間自分の霊のいのちに食べ物(すなわちみことば)を与えなかったと告白した人にあったことがある。私は「霊のいのちに何も与えてこられなかったのはさぞかし苦痛だったでしょう、また惨憺たる経験をなさったのでしょうね」と言わざるを得なかったが、彼は今の世の多数者(現代の幾千人)を代表する者であって、実に霊的な飢え死にに瀕しているのである。

 私たちはただ一日の労働に堪えさせるために身体を大変大事にし、日に三回の食事を欠かさず、衣服をまとい、その上、綺麗に着飾るではないか。そしてその肉体はいつまで持つかというと永くはなくいずれは墓行きとなり、腐敗してしまうものだ。まして永遠に存在する内なる人(霊のいのち)が飢えてしまい、日々衰えてゆくのを何とも思わないのは矛盾しているではないか。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(新約聖書 マタイ4・4)と書かれているとおりである。

 人がもし旅をしながら、自分の行く所がどちらの方かも知らないで、またどのようにして目的地に行くかも知らないで旅をするならこれほど危険な旅行はないと言える。たとえ危険がないとしても、このような旅行に案内者がおり、あるいは案内書を持っていたらこれほど愉快で安全なことはない。だから諸君は知られるべきだ。聖書は永遠のいのちの旅の案内書で、天の御国を指し示している唯一つの本であることを。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(旧約聖書 詩篇119・105)。だから謹んでこの光を愛し、その助け、指導を仰がれるようにお勧めする。

(『聖書研究の快楽』ムーデー著三浦徹訳明治42年発行。名訳だが文語体なので同書12~14頁を筆者が現代風に意訳して掲載しました。)

(写真は同書の裏表紙のデザインです。味があるとは思われませんでしょうか。)

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

最近のトラックバック